信州生坂村「山紫水明 食と文化癒しの郷!」

山清路、大城・京ヶ倉等の自然。赤地蔵、百体観音等の伝統。おやき、おにかけ等の食文化を持つ生坂村!

長野県町村会政務調査会第2回建設部会&上生坂上空からの風景

2021年08月24日 | 生坂村の風景
 24日(火)は雲の間から日が差しても、時々ザッと雨が降る変わりやすい天気でした。

 今年度の県町村会政務調査会建設部会は、引き続き私が部会長として、第2回建設部会を小県郡青木村で開催させていただきました。

 昼食後に青木村保健センターで建設部会の会議が開かれ、私が部会長として、当建設部会の町村長の皆様をはじめ、多くの皆様が道路・河川・治水砂防等の要望活動にご協力いただいていますことにより、「防災・減災、国土強靱化のための5か年加速化対策」が講じられているなど、要望活動の成果が現れていると感じているところでございますが、今年もお盆には停滞する前線による影響で、全国各地で甚大な豪雨災害が発生し、県内でも大変残念ながら犠牲となられた方がお出でになり、近年、大規模な自然災害のリスクが、益々高まっているように感じており、我々自治体を運営する者として、この様な状況下において、住民の生命と財産及び私どもの諸先輩が受け継いできた地域資源をしっかりと守り、次世代につなげていく責任の重さを痛感する次第ですなどの挨拶をさせていただきました。


 次ぎに、開催地青木村の北村村長さんから、村の紹介と歓迎の挨拶などを頂戴した後、会議事項の副会長の選任について協議をし、これまでの慣例により町村長歴が長い、青木村の北村村長さんに決まりました。


 国・県の要望は、「住宅等の耐震化の促進」「空き家対策に対する総合的な支援策の充実」「冬期交通の確保」「地籍調査事業の推進」等の中で、令和元年東日本台風災害や令和2年7月豪雨災害等の災害の現状を踏まえ、今年度も「道路等交通網の整備促進及びインフラ老朽化対策の充実」と「河川と砂防施設の整備推進」としました。
 また3部会の共通要望として「大規模災害からの復旧・復興と災害に備えた公共事業の推進」も重点提案・要望とすることになりました。


 会議終了後は、青木村の概要について北村村長さんからお話を伺いました。
 日本一住みたい村づくりの計画、【重点】道の駅あおき、ふるさと公園あおき、岡石工業地整備事業、五島慶太未来創造館、国道143号青木峠バイパス整備事業、防災力向上行動計画、地区防災マップ、移住・定住促進対策事業、地方創生臨時交付金活用事業、タチアカネ蕎麦、青木村の教育など、とても分かり易い資料をご用意いただき多岐にわたりご説明いただきました。


 次に、重点「道の駅あおき」に行き、旧直売所の約2倍になった売場に、新鮮野菜や地場産品が並んでいました。特に秋には松茸を買い求めるお客様でとても賑わうとのことでした。






 食堂は102席と従前施設の約2倍で、タチアカネ蕎麦をはじめとする地域食材を使ったメニューでもてなしていました。




 道の駅あおきの中心空間である「市庭(いちば)は、様々なイベントや出会いの場となっているとのことでした。


 情報休憩施設「ぷらっと家(ホーム)あおき」は、来訪者の休憩や村民のくつろぎの場、村の情報発信の基地として整備され、昆虫館ギャラリーや授乳室も完備されていました。


 次ぎに、道の駅あおきに隣接します「ふるさと公園あおき」に行き、防災機能を有した多目的な公園について説明していただきました。


 駐車場の下には防災貯水槽があり、山火事の時には消防の小型ポンプで、ヘリコプターのタンクに数分で一杯にして消火に当たれるとのことでした。



 入口広場のモニュメント「Growing Triangle」は、青木三山、三重塔など、青木村で見られる美しい三角形を構想した造形であり、ぎみんわんぱく広場の複合遊具や水辺ふれあい広場、わんわん広場などを説明していただき、希望の丘で青木村の眺望を楽しみました。






 次ぎに、株式会社竹内製作所の誘致が決まっている「岡石工業地整備事業」の造成工事の様子を視察しました。総事業費約7億2千万円(用地取得費、設計・施工監理委託料、造成工事費等を含む見込額)、面積約52,000㎡、優良農地であったので、農地転用と用地買収が大変だったのことですが、市町村別人口一人当たりの工業出荷額等を比較する資料をお示しするなどしてご理解をいただいたとのことでした。




 東急電鉄で実際に使用された電車の車輪の展示の前で、みんなで記念撮影をしました。


 五島慶太のふるさとである青木村で偉大な軌跡を振り返る「五島慶太未来創造館」に行き、青木村の先人、五島(小林)慶太が、東急グループの礎を築いた実業家であるとともに、教育者として次世代の育成に力を注いだ人でもあることなどの説明を伺いました。


 村内にあった慶太の生家をモチーフとする建物の中では、その成果を体感でき、VR(ヴァーチャルリアリティ)のほか、慶太ゆかりの品などを展示し、その歩んできた軌跡を紹介されていました。


 ちょうど夏季企画展「発見!青木村にナウマンゾウ!?」が開催されていて、当館所蔵信濃町貫ノ木遺跡出土の石器13点が出張展示されていました。




 民俗資料館は、私が幼い頃の昭和の時代、東京オリンピックが開かれた頃に設定してあり、映画「三丁目の夕日」でも走っていた軽三輪自動車や、初期のブラウン管テレビ、農具や民具を展示してありました。


 若い時使っていた方もお出でになり、私は子どもの頃、親が使用したのを覚えている農具があり懐かしくて、皆で話が弾んでいました。


 青木村歴史文化資料館は、郷土が生んだ反骨の俳人・ジャーナリストで「栗林一石路」のご遺族、栗林一路様から多くの貴重な資料を寄贈いただき、それと共に江戸時代「義民の郷あおき」を標榜する多くの百姓一揆の指導者を輩出した村として、義民顕彰資料の展示を一元化しました。


 江戸時代青木村から起こった百姓一揆は、天和2年(1682年)から信州の世直し一揆の先駆けとなった明治2年(1869年)の騒動まで、全藩惣百姓一揆の宝暦騒動(1761年)を含めて5回あり、同じところから5回も一揆の指導者を輩出しているのは大へん珍しいとのことでした。


 最後に私から御礼のことばを申し上げ、予定の建設部会は終了しました。
青木村の広々とした豊かな自然を感じ、美味しいトチアカネ蕎麦などを頂戴し、様々な施設、取組などを視察させていただき有意義な時間でした。
 青木村の北村村長さんをはじめ多くの関係の皆さんにお世話になり感謝申し上げます。


▽ 毎朝出勤前恒例の撮影は、稲穂が黄金色になってきた水田などの風景を上空から撮影しました。


上生坂上空からの風景



 その他生坂村では、保育園でプール自由参観、小学校でALT・教育懇談会・読書GPスタート、中学校で教室開放日⑥、児童館でマラソンクラブ、集団検診・大腸がん検診、アクア運動教室⑥、子ども水泳教室⑥などが行われました。




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