信州生坂村「山紫水明 食と文化癒しの郷!」

山清路、大城・京ヶ倉等の自然。赤地蔵、百体観音等の伝統。おやき、おにかけ等の食文化を持つ生坂村!

2024赤とんぼフェスティバルINいくさか(後半の模様)

2024年10月19日 | 生坂村の催し
 10月19日(土)の午後2時からは、順子習字教室の皆さんと仲間達で書道パフォーマンスを行っていただきました。音楽と踊りに書道を組み合わせ、今年のパリ・パラリンピックのブラインドサッカーに日本代表として出場した、生坂村出身の平林太一君に対して、「たくさんの勇気と希望と感動をありがとう」などと、みんなが一生懸命に書いて踊り、気持ちを込めた文章と書にとても感動しました。










 午後3時からは本日2回目の「それいけ!アンパンマン ショー」が始まり、2回目でも多くの親子連れで賑わい、「それいけ!アンパンマン ショー」の人気の高さに感心しましたが、SNSでの発信は禁止されているため、見ている皆さんや自分で楽しむ写真を撮っている皆さんです。


 司会の本間香奈子さんは、後半もステージ発表の準備の間に各ブースに伺って、出展の内容やおすすめ品などを紹介してもらいました。










 次に、グリーン ノート コースターの皆さんのステージでして、2010年結成の3ピースバンドで、沖縄県内を中心に、イベント、ライブなどに精力的に出演され、2016年以降は、長野県 町村会 収穫祭めぐり関連のイベントや町村の収穫祭に、毎年出演されていて、今年は赤とんぼフェスティバルに来ていただきました。




 続いての生坂龍翔太鼓は、村の若者、中学校の先生、役場の職員たちに新しいメンバーも増え、赤とんぼフェスティバルでの演奏は初めてで、人数に余裕があったので、「まつり」「岩つつじ」「生坂」「龍翔」と新バージョンで演奏しました。
 若いメンバーは力強くしっかりと演奏が出来てとても素晴らしかったですし、若手の後継者ができて嬉しく思い、私は初めて小太鼓中心に下打ちをしながら、笑顔で見守っていました。















 続いて、正調安曇節 保存会の皆さんから「正調安曇節」を踊っていただきました。正調安曇節は、大正時代に有明山社で初めて踊られ、以降、松川村の有志の皆さんが「踊り会」を結成し、普及に努めてこられました。
 松川村では、安曇節の唄と踊りを無形文化財に指定し、「正調安曇節 保存会」をはじめ、村の方たちのご活躍により、次の世代へ受け継がれています。





 「収穫祝い 花火まつり」は、私が特別協賛をいただいた(株)フェローズ 代表取締役 徳重さんをご紹介し、続けてご挨拶をいただきました。
 今回も、徳重さんをはじめ多くのご協賛の皆さんのご支援により、昨年度と同規模の花火まつりが開催できました。


 「みのわ手筒会」「アルプス煙火工業」「関島煙火製作所」の皆さんにお願いし、趣向を凝らした頭上で見られる大輪の「打ち上げ花火」と身近で見られる迫力の「手筒花火」の臨場感たっぷりのコラボレーションが素晴らしく夜空を彩る美しさに堪能し、感動のあまり目頭が熱くなりました。
赤とんぼフェスティバル 収穫祝い 花火まつり









 最後に生坂村讃歌「山紫に空は澄み」を、私と太田議長、副村長、区長さん方、フェローズの皆さんで、楽しくしっかりと歌いました。


 最終は私から、赤とんぼフェスティバル実行委員や区長各位、各ブースの皆さん、司会の本間香奈子さん、来場の皆さんなどのご支援・ご協力に対し御礼を申し上げ、明るい明日の生坂村と、次代につなぐ持続可能な生坂村を構築するために課題は尽きませんが、村民の皆さんの絆を大切に助け合って生坂村を盛り上げていきたいと考えていますので。引き続きのご理解とご協力をお願いしますなどの閉幕の挨拶をさせていただきました。

 赤とんぼフェスティバル実行委員や区長各位、村民、来場者、ステージ出演者の皆さんと司会進行の和泉家志ん治師匠など多くの関係各位のご支援とご協力のお陰で、成功裏に終了することができましたことに、心から感謝を申し上げます。そして皆さん大変お疲れ様でした。



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