9月30日(土)は雲の多い空から少し日差しが届き、昼間は蒸し暑くなりました。
▽ 毎朝恒例の写真は、お彼岸入りの撮影時より更に花開いた、我が小舟集落の曼珠沙華の風景です。
小舟集落の曼珠沙華の風景
本日は亡き母の出棺、火葬、葬儀・告別式を行いました。
朝7時50分から隠岐宮司さんから出棺祭の野辺送りの儀式を行っていただき、親戚や近所の皆さんから見送っていただきました。
母のお見送りに来ていただきましたことに御礼を申し上げ、母が小舟の地に嫁いできて約70年が経ちましたが、多くの皆さんと旅行をしたり、花を生けたり、習字をしたり、カラオケを歌ったりと楽しい思い出がいっぱいできましたことなどにも御礼の挨拶をさせていただきました。
9時過ぎには広域豊科葬祭センターに着き、告別室にて火葬前に故人と最後のお別れをし、火葬後は皆で母のお骨を収骨して、ご遺骨・遺影を持って、お葬式の会場に向かいました。
当センターは、当村も組織市村であります安曇野松筑広域環境施設組合が管理している公営火葬場です。生坂村では、村内に住所を有していた故人を広域豊科葬祭センターで火葬した場合は火葬料を無料にしております。
通夜・納骨と葬儀・告別式は、先月の本家の対応と同様に、新型コロナウイルスの感染者がいることと季節性インフルエンザも流行していることから近親者により執り行うこととしました。
正午からは、JA虹のホール岡田において、私や家族などで弔問に来ていただいた皆さんとお話をし、母が生前にお世話になったことや弔問に対して御礼を申し上げました。
私の仕事関係の役場や県の皆さんも多く弔問に来ていただき、神式での葬儀ですから御霊前に玉串を捧げて帰られました。
午後1時30分からは、隠岐宮司さん達に神葬祭を進めていただき、客僧として川又住職さんにもお経を挙げていただき、孫の香織のお別れのことばは、お祖母ちゃんとの思い出、孫とひ孫を慈しんでいただいたことなどに感謝を述べられ、目頭が熱くなる心のこもったお別れのことばでした。
参列者で玉串拝礼や十日祭を繰り上げて執り行っていただいた後、喪主の私から、ご丁重なるご弔慰並びにご奉仕をいただいたことと母が生前お世話になったことを故人に変わって御礼を申し上げ、隠岐宮司様達と川又住職様によりまして滞りなく葬儀・告別式を終了できましたことに感謝を申し上げ、お袋さんが24歳で親父さんのところに嫁いできてから、家業の藤澤醸造株式会社の仕事と畑で野菜を沢山作っていただいた働き者であったこと、親父さんとの海外旅行などの趣味を楽しみ、遺影の写真は最後に家族と一緒に行った金沢での写真であること、晩年は思うように体が動かなくなっても、我々の介助を受け感謝の気持ちで暮らしていたこと、母のように大家族で暮らしていることが、日本の人口減少・少子高齢化の課題を解決すること、私も晩年は母のように生きたいこと、最後に「ありがとう」「お疲れ様でした」の言葉を捧げるなどの御礼の挨拶をさせていただきました。
最後に、葬儀委員長の本家の隆一父さんからも、両親との思い出やとても寂しい気持ち、参列された皆さんへの御礼の言葉などをいただき滞りなく終了しました。
今日生坂村では、中学校で第54回かしわ祭などが行われました。