帰ってきた特派員報告

2004年に沖縄移住しteacupブログ開設→gooブログへ引越し

紹興酒の思い出

2023-01-22 08:57:00 | 酒もってこい
正月に弟が家に来た

豚足と紹興酒をぶら下げてやってきた



     テビチ! 沖縄が懐かしい!


放送局に勤めている弟はこのほど部長に昇進したが

報道部→メイク室 というハードな配置変えに苦悶していた

「女ばっかだしよぉ、化粧とかカツラとか全くわかんねえし、どないせえちゅうねん」

俺なら大いに愉しめそうな職場なんだがな

そのうちにグログロとトグロを巻き始めたので、弟の声を遠い防波堤に打ち付ける波の音に変換して、そんで、紹興酒の赤いボトルをボーッと眺めていたら、色々なことを思い出した


会社勤めをしていた頃に、本物の紹興酒に出会った

その頃の紹興酒といったら、ザラメや氷砂糖と共に供される、甘くて、くどくて、重鈍な飲み物で、まったく苦手な酒だった


     心象風景


ある日、会社の倉庫の掃除をしていた時に棚の奥に何やら大きな甕があるのを見つけた

先輩に聞くと、先代の社長が中国政府の偉い人から頂いたもので、まだ毛沢東が生きていた時代の酒、とのことだった


       こんなんでました


蓋の周りはカビだらけで、気味悪がって誰も手をつけていなかった

飲んでみませんか、と声をかけると誰もが首を横に振った

かわいそうなので、俺が救ってやることにした

遅い時間の残業で事務所がひっそり静まり返ったころに、給湯室の湯呑みを持ち出して倉庫へ向かった



     給湯室の湯呑み


ナイフで竹の封印をザクザクと切った。もう引き返すことはできない

漆喰で固められた木の蓋の隙間に刃を入れ、粉が落ちないようにそうっと開けると、甕の中の漆黒の液体が蛍光灯の光を反射してきらきらと輝いていた

湯呑みで掬い取った液体をひと舐めして、すぐに解った

「こいつは本物だ」

市販の紹興酒のウイスキーみたいな琥珀色に対し、甕の酒は葡萄酒のように赤黒い

鼻を近づけると花の香りがした ワインの人ならアロマとかブーケとかいうんだろうね

味わい深い米の旨味と、静かにじっくり発酵してきた時間の酸味が織りなす絶妙なバランス

もう、一発で惚れた

それから2年後に退職するまでそりゃ飲みまくりましたね (こっそり足しておいたので今ごろは20年古酒だ)


あとは沖縄に住んでいた頃に上海へ行ったときのこと

紹興と上海は近いので是非ともあの味を、とホテルのコンシェルジュに料理店を予約してもらった

その店は予想外に高級で、食べ物のメニューが2冊、酒のリストもついてきた

紹興酒の文字がないのでウエイターを呼んだ

俺の発音が悪いのか、紹興酒(シャオシンジウ)がまるで通じない

会社倉庫の甕の中の赤黒い液体を思い出し「紅酒はないか」と聞くと、もちろんありますともといった感じでリストの中からおすすめを指差した

これがいけなかった

ウエイターが籠に入れたボトルをうやうやしく持ち上げ、コルクを開けて(ん、なんでコルク?と嫌な予感がしたがもう遅くて)グラスに注がれたのは、何と中国産赤ワインだった (後で知ったが紹興酒は「黄酒」)

中国がいけいけバブルで、皆がこぞって赤ワインを飲んでいた時期だった

泣く泣く酸っぱいワインを飲んだら悪酔いして、帰りに露店でザリガニを食って吐いた


翌日、上海名物の小籠包を食べに行ったら、相席になった観光客が高そうな紹興酒をボトルで飲んでいた

つい、派手な装飾の陶器ボトルをじっと見つめてしまった

羨ましげに見えたのだろうか、おひとつどうぞ、と呼ばれてしまった

それはそれは素晴らしく美味しい紹興酒だった

上海に来てよかったな、と思った





あれから何年も経ち、今では日本でも良質な紹興酒が飲めるようになった

でも、ふと思う

なぜあの時、紹興の街へ行かなかったのだろうか

上海から車で2時間とかからないのに

チャンイーモウ監督の映画「紅いコーリャン」の主人公のように
はたまた魯迅の阿Qみたいに、現地の呑み屋で茶碗酒をかっ喰らったら
また別な世界がひろがっていたに違いない(はずだ)


と、そんなことを兄に話したら、兄は兄で紹興酒でやらかしていた

長女が生まれた時、庭に紹興酒を埋めたらしい

女児紅という、娘が生まれた際に甕を埋め、結婚するときに掘り出し飲む現地の慣しを真似たのだ



結婚式が終わり、さあいよいよ飲むかと掘り出してみたら、酒は上等な黒酢になっていて

泣く泣く酢豚を作って食べたんだそうだ

どちらも酸っぱい思い出だ


うちの二人の娘にも誕生日にそれぞれ泡盛を求め、どこぞの鍾乳洞に寝かせたはずだが、預かり証をどこかに無くしてしまった

(ダメオヤジ)





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