ガシャン!
休日の朝、何かが割れる音で目が覚めた。
ん・・誰かがコップでもやったかな・・・むにゃむにゃ。
って二度寝にかかるべく毛布にくるまっていると、娘が寝室に飛び込んできた。
「割れよったぁ! お父さんの大事なアレ、割れよったよ!」
・・え、アレって・・・もしや俺のアレか?!。
ベッドから飛び起きて台所にいってみると。
くっは~、 俺の大事な古伊万里がこっぱみじんに
10年以上かけてこつこつと蒐集した江戸時代の蕎麦猪口がこなごなだ。
おお、なんたることよ。
オヤジくさいかもしんないけど家人たちが寝静まった夜に、江戸情緒を感じながら独り日本酒を呑むのが俺のひそやかな愉しみであったのよ。
心象風景
あわてて友人の漆職人スズキ君(奥様は美術品鑑定人)に電話をかけて
継ぎのやりかたをきいてみると、とりあえず割れた断面をよく洗って、できれば漂白しろという。
「うん、わかった。漂白はハイターだね」
「そしたら砥石を粉にして練って」
「うん、砥石を。。。え?」
「次に、漆をまぜて半年ほど練り続けて」
「はい?」
「で、金粉をかけて1か月ほど乾燥させて電気炉で焼くのねん」
奥様が電話のむこうで
「江戸の古伊万里なら締まっているから漂白はいらないはずよ」
とか専門的なことを言ってるのも聞こえてくる。
はあああ?
砥石を練る、ってあれは包丁が研げるような硬い石でしょう。
それを粉にするとか、半年かけてとか、電気炉とか・・もうぜんぜんありえない。
わけわかんない。
ひとりでできる感、まったくのゼロなんですよ。
継ぎがダメとなると俺の頭ではもう瞬間接着剤しか手はないが、江戸情緒とアロンアルファの間には果てしなく深い谷間がある。
とほほ。
そんな失意どん底の俺に、心の先輩が慰めの言葉をかけてくれるのだが。
簡素な暮らしをしていれば、この世で生きていくことは苦労でなく楽しみとなるのだ。大部分の愉しみというものは、無くてすむばかりか明らかに人類の進歩の妨げになるんだよ。
(ヘンリー・ソロー「森の生活」より)
・・・う、うるさいっ。
趣味が「江戸と釣り」なんていう俺の暮らしをこれ以上簡素にしたら、それこそ枯れちまうってんだよ。
そもそも愉しみがなくなったら、何のための人生かっつうの。
でもまあ、「形あるものすべて滅する」とはいいますし、古伊万里ったって一個1000円くらいに値切れたような雑器ですからここは怒りますまい。
仕方がないのでヤフオクでこつこつ探すとしよう。
俺も今月で45歳になるが、四捨五入してアラファイブとはいえ枯れるにはまだ早いと思いたいのよ。
われものに生きるチカラを求めるのもどうかとおもうけど。
そして俺の大金時様に響くようないい絵がヤフオクなんぞでみつかるか、ってのも問題なのだ。
それより週刊誌のグラビアアイドルを見てもぴくりともしない件のほうが大問題だ