帰ってきた特派員報告

2004年に沖縄移住しteacupブログ開設→gooブログへ引越し

太郎こと

2007-11-29 17:00:09 | 海外特派員

久しぶりに香港へ行ってみた。
沖縄から2時間ばかり。東京より近いかも。


中国では「沖縄島」とよばれていたのか。
そのうちに「返せ」とかいうんじゃないだろうな、と到着そうそう余計な心配をしてみる。

上海蟹もアワビの粥も美味かったが、
今回のナンバーワンは臓物ライスであった。
この一品によしざる的香港ミシュラン3つ星を与えたい。
飯の上に牛や豚の臓物がごちゃごちゃとぶちまけられている。アキレス腱やハチノスも見える。
食べ進むうちに肉と飯の間からシャキシャキとした青梗菜が顔を出す。

健康にもよさそうだ。

ほのかに八重山そばにふりかける胡椒、ピパーチの香りがして、沖縄は東南アジアとつながっているのだなぁと改めて確認。
特筆すべきは肉の歯応えだ。
しっかり煮込まれつつもシコシコとしていて、それぞれ個性のある味や香りが楽しめる。
日本では肉をとろとろになるまで煮込んでしまい、それを売りにしている店も多いが、肉の持つ本来の旨味を味わう為には「硬い」と「軟らかい」の間にあるぎりぎりの線を見極めなくてはならぬ。肉の扱いを知らねばならぬ。


って大衆食堂の脂まみれのテーブルで海原雄山でもあるまい。

臓物をつまみにビールと紹興酒をがぶがぶ呑んでいると、枯れた身体に急激なスタミナが入ってきたせいか、天井がぐるんぐるんまわりだした。

酔いを醒まそうと、街をぶらつきながらチープな土産物を物色するも、不思議な日本語にノックアウト。



セケス&太郎にがつんとやられてホテルで寝込む。
日本人観光客を狙うのであれば、もうすこし日語のお勉強をしてほしい。

いやいや、わざとやっているのかもしれない。
職場と家庭の話題づくりにこういった小ネタはちょうどいいもんな。

よくないか。






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チヌ

2007-11-21 11:31:38 | 釣り

朝の散歩から帰ってきた親父が、「糸満でチヌ(黒鯛)が大漁だってよ!」と息をきらせながら言う。
「行かねぇかい。」
「では、行きますか。」
こういうとき、30分後には海で竿を出せるのが沖縄のいいところだ。

一時間で30センチほどの中型が3枚釣れたので、晩飯に勝浦名物チヌ飯を作る。

娘は以前のどに魚の骨が刺さり、通院するほどひどい目に遭ったので、神経質そうに骨の混入の有無をしらべている。おそるおそる箸をつけた後、「これは気に入ったな!」と大人の発言をして親父をよろこばせた。
俺も「どうだすごいだろう、ジジと二人で自然界からぶん捕ってきたんだぞ」と、親ライオンな気持ちになりながら晩飯を食ったらとてもうまかった。

ううん、違う。ライオンの狩りはメスの仕事だったよ。



 

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呼吸検査

2007-11-21 07:21:09 | 健康ネタ

例によって眠りが浅いので、病院へ睡眠薬をもらいにいったら、ちょっと呼吸器検査をしましょうねって、なんかの器械を持たされた。
ネズミの足音でも眼が覚める俺なのに
こんな道具をつけて寝れるかな。



朝起きたら器械は足元にころがっていました。

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築地

2007-11-15 20:24:17 | 東京特派員

東京出張。
昼飯は築地市場内で寿司をパクつく。

よしざるは新人サラリーマン時代、毎朝市場に勉強に来ていた。
目利きはもとより、海老のムキ方、相場のセンス、
大事なことはみんなここで学んだ。
プロの符丁が難しかったっけ。
例えば、「新人君よぉ、そこのヤワラをレッコしといてよ。」とか。

・ヤワラ→脱皮したての海老
・レッコ→捨てる、廃棄する(レッツゴーからきているらしい)

吉野家で使う「ツユダク」とかもここ築地が発祥です。

そして朝6時は、市場の男たちの晩酌タイム。
朝っぱらから彼等と寿司をつまみに一杯。
夜は職場の同僚とまた一杯。
俺がこんな酒飲みになるのも当たり前か。。

その魚市場も近々豊洲に移転する予定とか。
場外市場はそのまま残るらしいけど、70年の歴史がある場内は移転前に是非行ってみてください。

おすすめの寿司屋は「鮨勘」。
外国人も多いから、上寿司でも3千円くらいとリーズナブル。
でも、同じネタを銀座で喰うと諭吉数人が消えてしまうからスシって怖いよな。



 

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ムーンライトマラソン

2007-11-01 17:55:04 | スポーツ

沖縄北部の小さな島 伊平屋島で行われるムーンライトマラソン(ハーフ)に参加した。

運天港からフェリーに乗り込む。
台風20号の影響で波が高く、出港して間もなくジェットコースター状態に。
船首からの波濤で虹ができ、乗客たちの歓声があがるが、
30分もすると「うわぁ~い!」という歓声が
「おげぇ~」という嗚咽にかわっていった。

港に着くが迎えがいない。
民宿に電話すると「あ、気がつかなかった。これからいきますね。」ときた。
のっけから島時間にうっとりする。

村はネコが多い。みんな呼ぶとすり寄ってくる性質のネコだ。
気性のいいネコがいる場所の住民は気性がいい、という説があるが、
民宿のおじさんもおばさんも例にもれずあたたかで、笑顔が絶えなかった。

午後5時にレースがスタート。
強い風の中、スタート直後に100人に抜かれ20キロまでに50人を抜き返すといったペースで美しい夕焼けを眺めながら淡々と走る。
5キロごとの給水で地元の小学生たちが配る水を飲み、黒糖を齧る。
時々、i-podを止めて道端のススキのざわめきや蝉(まだいるんです)の鳴き声や水平線から上ってくる満月を楽しむ。
残念ながら2時間を切ることはできなかったが、伴走のおかげで概ねイーブンペースで走れ、とても気持ちのいいレースに終わった。
(嘘。ほんとはゼーゼーの貧血)

ゴール地点で行われた後夜祭は、同行したきょんママ、スタッフK、現地で会った卒業生らとともに芝生の上でのんびり過ごす。
月明かりの下で、島民がふるまってくれる温かい牛汁や地酒(泡盛)に舌鼓をうつ。
手作り感あふれるライブを楽しみ、時に踊り、夜はゆっくりとふけていった。

走っているときは何を考えているの?とか
辛いのになんで走るの?と聞かれることがある。
何も考えないよ。いや、走りながらモノなんか考えられるかよ、という人も結構多い。
けれど常時あれこれと悩みをかかえている俺は、日々なんとなくクヨクヨと走っている。

・0~5キロ 仕事のこと・冷たいビールのこと

・5~10キロ 家族のこと・冷たいビールのこと

・10~20キロ 将来のこと・冷たいビールのこと 

・20キロ以上 ビール・ビール・ビールのこと!

といった感じか。

ただ、30キロを超えると肉体的苦痛がピークに達し、もはやビールのことも考えられず、足音と呼吸をただひたすら同調させてゴールを目指している。
たったったっ・・という足音と、はっはっはっ・・という呼吸音しか聞こえない。
学生の頃、座禅を組んだことがあったが、1時間が5分位に思えたりして、どうもアレに近い感覚もある。

このわずかな時間があるから、あれこれと考えることのない忘我の時間を楽しませてくれるから、それを原資に俺はマラソンを続けているのかもしれない。
辛いけど、楽しいから飽きっぽいおれでも3年以上、走っていられるのだろう。 

イスラム教のラマダンは実は苦行ではなく、祭り月のお祝いだという。
根っこが楽しいものでなければ、苦痛を伴う行為というのはそう長くは続けられないものだ。


 

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