「つれづれなるままに 日くらし硯にむかひて
心にうつりゆくよしなし事を そこはかとなく書きつくれば
あやしうこそものぐるほしけれ」
このところ世間と離れて家に籠りきりにいるので、
畏れ多いことだが兼好法師の境地に近づきつつある。
不思議なもので
離れているとその世間のことがよく見えてくる。
ひとの心の内や社会の変化に敏感になる。
更には犬や猫や雀や草花など
懸命に生きている小さな命たちにも慈しみを覚える。
このような心境になれるのは
自分が順調に老いている証拠であり
幸せなことと感謝しなければ。
欲が無くなれば真実が見えてくるということだろうか。
但し一方では困ったことに詩や俳句が生まれない。
新しい光、新鮮な空気から遠ざかっているので
斬新な発想や発見がない。
やはり文学には感性を揺する刺激が必要である。
ご飯の残りをあてに朝夕、尾長がやってくる。
警戒心が少しづつ解けて、
その仕草が可愛い。
やがて肩にとまってくれないかしらと
女房は期待しているようだが果たして-------
思惟遙か落花まみれのロダン像
心にうつりゆくよしなし事を そこはかとなく書きつくれば
あやしうこそものぐるほしけれ」
このところ世間と離れて家に籠りきりにいるので、
畏れ多いことだが兼好法師の境地に近づきつつある。
不思議なもので
離れているとその世間のことがよく見えてくる。
ひとの心の内や社会の変化に敏感になる。
更には犬や猫や雀や草花など
懸命に生きている小さな命たちにも慈しみを覚える。
このような心境になれるのは
自分が順調に老いている証拠であり
幸せなことと感謝しなければ。
欲が無くなれば真実が見えてくるということだろうか。
但し一方では困ったことに詩や俳句が生まれない。
新しい光、新鮮な空気から遠ざかっているので
斬新な発想や発見がない。
やはり文学には感性を揺する刺激が必要である。
ご飯の残りをあてに朝夕、尾長がやってくる。
警戒心が少しづつ解けて、
その仕草が可愛い。
やがて肩にとまってくれないかしらと
女房は期待しているようだが果たして-------
思惟遙か落花まみれのロダン像