心と身体がよろこぶ“気功養生”

「養生気功塾」のお知らせ、気功の魅力、気功養生法、気功の生活術をメインに、日々のあれこれも書いています。

《黄帝内経》養生名言五十句(41~50)

2023-02-14 04:36:04 | 気功養生的話

《黄帝内経》養生名言五十句の

41~50

 

自分用のメモも兼ねて載せています。

(訳は一部だけですが…)

 

参考になれば。

 

 

《黄帝内経》養生名言五十句(41~50)

41清静则肉腠闭拒,虽有大风苛毒,弗之能害。

释文:懂得养生的人,做到形神清静,善于保持阳气充足调畅固密,所以肌肉皮肤坚固紧密,而能抗拒邪气的侵扰,纵然有巨大的风邪以及毒性很强的其他致病因素,也不会受到伤害。

 

42肺者,脏之长也,为心之盖也,有所失亡,所求不得,则发肺鸣,鸣则肺热叶焦。故曰:五脏因肺热叶焦,发为痿躄,此之谓也。

释文:肺脏在五脏之中位置最高,覆盖在心脏之上,它是各脏之长,如果精神受到刺激,或欲望不能满足,就会使肺气不通畅,而发生病变,热邪造成肺叶焦枯,无法将津液输送到全身,便产生五体痿,因此说五脏都是由于肺热叶焦,而产生痿躄的,就是这个道理。

 

43中焦亦并胃中,出上焦之后,此所受气者,泌糟粕,蒸津液,化其精微,上注于肺脉,乃化而为血。

释文:中焦也是出自胃的上口,在上焦之下,脾胃消化吸收的水谷精微,化生为营气和津液等营养物质通过经脉而会聚于肺,并依赖肺的呼吸,在肺内进行气体交换之后方化而为血。

 

44脉气流经,经气归于肺,肺朝百脉,输精于皮毛。毛脉合精,行气于府。府精神明,留于四脏,气归于权衡。

释文:遍布全身的较小经脉中的精气,逐级归流进入到较大的经脉中去,全身的经脉均和肺通连。所以,全身的精气最后总归入肺,肺脏再把精气输送布散到全身体表(皮毛)。体表的精气再进入经脉中,返流入人的经脉中……经脉中的精气就这样正常运行而不紊乱,并周流人心、肝、脾、肾,从而使脉中的精气趋于平衡,使五脏六腑的功能正常协调。

 

45肺气通于鼻,肺和则鼻能知香臭矣。

释文:鼻是气体出入的通道。鼻的通气和嗅觉作用,必须依赖肺气的作用,肺气和畅,呼吸调匀,嗅觉才能正常。

 

46悲则心系急,肺布叶举,而上焦不通,营卫不散,热气在中,故气消矣。

释文:过度悲哀使心联系其他组织的脉络痉挛拘急,还会影响到肺,使肺叶张大抬高,呼吸异常,以致胸腔胀满,气的运行不通畅,营卫之气不能布散到全身,停留在胸中,时间长久转化成热,而损耗气,所以说悲则气消。

 

47夫上古圣人之教下也,皆谓之虚邪贼风,避之有时,恬淡虚无,真气从之,精神内守,病安从来。是以志闲而少欲,心安而不惧,形劳而不倦,气从以顺,各从其欲,皆得所愿。

释文:远古时代,对养生之道有高度修养的人,经常教导人们说:对于一年四季中都可能影响人们身体健康的气候变化,要注意适时回避;思想上要保持清静安闲,不要心存杂念。这样,体外没有邪气干扰,体内无情绪波动,人体和外界环境协调统一,体内的真气调和而没有损伤,精神充足而不外散,病邪还能从何处来侵犯人体呢?所以,那时的人们都能够志意安闲而少有嗜欲,心情安逸而不受外界事物的干扰,身体虽然在劳动却不觉得疲倦,人体正气调顺,因为少欲,所以每个人的要求都能得到满足,每个人的愿望都可以实现。

訳:古来、健康術に長けた人々は、一年を通じて健康に影響を与える気候の変化を避けるように注意し、心を穏やかに保ち、雑念を抱かないようにすることをよく説いていました。 このように、体外の邪気からの干渉もなく、体内の気分の落ち込みもなく、人体と外部環境が調和し、体内の真の気も調和して傷まず、精神も十分で拡散せず、どこから邪気が人体に侵入してくるのでしょうか。 したがって、その時、人は意志が安らかで欲望が少ない、気分が安らかで外的なものに邪魔されない、体は働いていても疲れを感じない、体の正気が調和している、欲望が少ないので、皆の要求を満たすことができ、皆の願いを叶えることができるのである。

 

48正气内存,邪不可干,邪之所凑,其气必虚。

释文:在人体正气强盛的情况下,邪气不易侵入机体,也就不会发生疾病。而邪气之所以能够侵犯人体,一定是因为正气已经虚弱了。

訳:身体の正気が強いと、邪気が侵入しにくくなり、病気が発生しないのです。 そして、邪気が侵入できるのは、すでに正気が弱っているからに違いない。

 

49是以嗜欲不能劳其目,淫邪不能惑其心,愚、智、贤、不肖,不惧于物,故合于道。所以能皆度百岁而动作不衰者,以其德全不危也。

释文:所以,不良的嗜好就不能吸引他们的视听,淫念邪说就不能动摇他们的意志。无论是愚笨的抑或是聪明的,无论是德才兼备的抑或是才能低下的,他们的共同之处,就是能做到不受外界事物的干扰,因而符合养生之道的要求。他们之所以能活到一百岁而仍然不显得衰老,就是因为这些人全面掌握了养生之道,使天真之气得到保护而不受到危害的缘故。

訳:そのため、悪い趣味に目を奪われることもなく、欲望に駆られることもなく、その意志を揺さぶることができます。 愚者であれ賢者であれ、徳者であれ低能者であれ、共通しているのは、外からの干渉がなく、それゆえ健康道の条件を満たしているということである。 100歳まで生きていても老け込まないのは、その人が本来持っているエネルギーを損なわないように、健康法をマスターしているからです。

 

50知之则强,不知则老,故同出而名异耳。智者察同,愚者察异,愚者不足,智者有余,有余则耳目聪明,身体轻强,老者复壮,壮者益治。

释文:聪明的人,注意的是人与天地阴阳之气的一致性,因而在健康无病的时候,就能够注意养生保健;而愚蠢的人,只有在出现了强壮与衰弱的不同结果时,才知道注意。所以愚蠢的人常正气不足,体力衰弱;而聪明的人,正气旺盛,耳目聪明,精力充沛,身体轻快强健。即使是年龄已经衰老,也还能焕发青春,保持强壮;而本来就是强壮的人,就会更加强

訳:賢者は天地の陰陽と人間の調和に気を配るので、健康で病気のないときに健康管理に気を配ることができるが、愚者は強壮と衰弱という異なる結果が現れたときにしか気を配ることを知らないのである。 だから、愚者は往々にして正気が足りず、体力も弱いが、賢者は義が強く、耳も賢く、気力も豊かで、体も軽くて丈夫である。 歳をとっても、若返り、強くなり、すでに強い人はさらに強くなる。


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 香山鳄鱼团・“鳄鱼爬行”「ワ... | トップ | 昔の洗濯石鹸 »

気功養生的話」カテゴリの最新記事