はちみつと青い花 No.2

飛び去っていく毎日の記録。

艱難汝を珠にす

2018年02月21日 | フィギュアスケート
2018/02/21


羽生さんが金メダル翌日の記者会見で、こんなことを語った。
私が最初に書き起こした動画では、カットされた部分である。

「ホントのホントの気持ちは嫌われたくないってすごい思うし、色んな方に見られれば見られるほど、
色んな事をしゃべればしゃべるほど嫌われるし。ふふふ。
色んな事書かれるし。
なんか嘘みたいな記事が多分、これからもっともっと出てくるんだろうなって思います。」

あれれ・・
こんなことしゃべるなんて珍しいなあ~
質問やつながりからすると、ちょっと唐突な感じもする。
今までの羽生さんだったら、きっと言わないだろうこと。
きっと腹に据えかねることが、ごく近い過去にあったのだろう。

試合から一夜明けて、早朝から多くのインタビューを受けて、
あまり睡眠も取れなかったらしいから、疲れていたのかも知れない。

私は言っていいと思う。
少し悲しげに微笑みながら、というのがよかったと思うよ。
(どこかの大統領や首相みたいに攻撃や侮蔑でないのが)
間違いを指摘する時は、事実のみの指摘にして、
書いた側の人格否定をしないことに注意しなければならない。
(と、ものの本には書いてあるよ)

言わなかったら、人にはわからない。
何を言っても平気だと思っている人もいるだろう。

ここからは、私が日頃思っていることを一般論として書いてみます。

どんなに誠実に生きていても、何か言う人は言う。
しゃべれば嫌われるのは、しゃべる側に問題があるのではなく、もう受けとる側の問題。
きっと、理解力が乏しいか、共感力がないか、妬みか、幸せでない人だろう。

嘘みたいな記事を書くのは二通りあると思う。

・ひとつは理解力の乏しさと人間性の低さ。
・もうひとつは売れるためなら嘘でも書くという場合。

センセーショナルなことを書いて人目をひきつけたい、あるいは部数を伸ばしたいという・・・
生活がかかっているのかもしれない。炎上商法的だけど、品性はないと思う。

そういう人々をどうにかすることはできない。
人類にはというより、生物学的に一定数発生してしまうのだから。
有名になればなるほど、そんな人の目にとまるようになる。
そのような人のレベルまで降りていって争う時間もエネルギーももったいない。

ただ明らかな間違い、名誉毀損にあたるような場合は指摘しなければならないと思うが、
他の多くの記事によって正誤は伝わるだろう。
嘘の記事を書いても、大多数の人々には嘘だとわかる。

これはいつも思っていることだけど、中傷を書かれるのは、いわば勲章のようなものだと思う。
言い換えれば有名税のようなもの。
それだけ注目されている証拠だもの。
つまり、相手に書かせるだけの時間とエネルギーを使わせるバリューがある。

書くにも値しない人だと思えばスルーされる。
その前に関心さえ寄せないだろう。

誉め言葉にも、誇大と思えるほどの誉め言葉があるから(笑)、
ちょっと鎮める役割があるのかもしれないとさえ思う。
結局、バランスを取ろうという世の中(あるいは生態系)のしくみなのかも。

どっちにしてもユーモアに包んでしまうのが一番いいのかもしれない。



コメント
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