2019/04/16
朝のニュースで、ノートルダム大聖堂の火災を知ってびっくり!
大聖堂の屋根がほぼ全焼したほか、尖塔も倒壊。お昼にはほぼ鎮火したということですが。
言葉がありません。
1993年と2012年の夏休みにパリに行ったとき、シテ島のノートルダム大聖堂を見に行きました。不謹慎な言い方で申し訳ありませんが、あの時に見ておいてよかった。再建されるでしょうが、元に戻らない芸術品もあり、何年もかかることでしょう。
あの時の旅行記は?、写真は?と調べていたら、その時の思い出が様々によみがえり、つい時間を使ってしまった。
ノートルダム大聖堂は、見る方向によって全然違った形に見えるのです。
天井の高い、広い大空間でした。
バラ窓がきれいだった。
観光客や信者の人々
多くの彫像、絵画、祭壇など800年の歴史を感じさせる品々がありました。
内部は暗くて、当時の私の腕前とカメラの性能では、暗いぼけた写真が多くてがっかりしたものです。
屋根裏あたり(工事の足場?)から出火だそうですが、「ノートルダムのせむし男」(ノートルダム・ド・パリ)の舞台ですね。せむし男カジモド(今思えば思わせぶりな名前・・火事元)はノートルダムの鐘楼から一歩も外へ出ずに暮らしていたのです。その物語の舞台になるあたりからの出火でしょうか。
フランスカトリックの総本山ですから、信者の人たちの落胆、ショックは大きいでしょう。貴重な歴史遺産が焼失したのは、本当に残念としかいいようがありません。
朝のニュースで、ノートルダム大聖堂の火災を知ってびっくり!
大聖堂の屋根がほぼ全焼したほか、尖塔も倒壊。お昼にはほぼ鎮火したということですが。
言葉がありません。
1993年と2012年の夏休みにパリに行ったとき、シテ島のノートルダム大聖堂を見に行きました。不謹慎な言い方で申し訳ありませんが、あの時に見ておいてよかった。再建されるでしょうが、元に戻らない芸術品もあり、何年もかかることでしょう。
あの時の旅行記は?、写真は?と調べていたら、その時の思い出が様々によみがえり、つい時間を使ってしまった。
ノートルダム大聖堂は、見る方向によって全然違った形に見えるのです。
天井の高い、広い大空間でした。
バラ窓がきれいだった。
観光客や信者の人々
多くの彫像、絵画、祭壇など800年の歴史を感じさせる品々がありました。
内部は暗くて、当時の私の腕前とカメラの性能では、暗いぼけた写真が多くてがっかりしたものです。
屋根裏あたり(工事の足場?)から出火だそうですが、「ノートルダムのせむし男」(ノートルダム・ド・パリ)の舞台ですね。せむし男カジモド(今思えば思わせぶりな名前・・
フランスカトリックの総本山ですから、信者の人たちの落胆、ショックは大きいでしょう。貴重な歴史遺産が焼失したのは、本当に残念としかいいようがありません。