この碑は那珂湊漁港を見下ろす高台の突端にありますが、建立当時は今よりもっと崖際にありしかも那珂川が蛇行してこの下を流れていたので、船運で栄えた那珂湊に帆掛け舟が出入りする様子をしっかと見られたようです。
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碑の海側には小さな東屋があり、海に向かってせり出した高台のため海風が天然のクーラー、一日何回も涼みに来ると近所の方が話していました。
碑は水戸藩御用石の寒水石(常陸太田産の大理石)、左上が山型になった形が自然のままの感じですが、碑面は平らに削ったようにも見えます。斉昭自筆の特徴ある水戸八分という隷書体を地元の石工、大内石了が彫ったとされていますが、石了は弘道館の弘道館記碑を彫ったことでも知られています。
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帆という字は「馬+風」の古典文字、音が「はん・へん」で、本来は馬が風のように「はしる」という意味、転じて「帆」の意味にも使われています。
左隣りには昭和13年建立の藤田東湖の七言絶句(七文字×4行の漢詩)の碑があります。
周りを囲む柵は大正15年に整備したのでしょうか、その寄付者名と寄付金額が彫られていました。
夕凪に帰る白帆の打続き水門間近に櫓の音ぞきく 徳川斉昭
なお、水戸八景すべてについては、拙ブログ「水戸八景…斉昭公選定の水戸藩内景勝めぐり 2020.8.18」に載せさせていただきました。