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新しい年の感動は加齢とともに薄れ、一休禅師の「正月や冥途の旅の一里塚」の心境になってきました。
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大洗サンビーチ、大晦日の撮影です。年末年始は日本海側の方には申し訳ないような好天が続き、海もベタ凪でサーファーも為す術なく浮かんでいます。
雪に覆われた苫小牧からのフェリー「さんふらわー」がちょうど入港してきました。
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明けて1月2日午後、偕楽園公園内にある神社の初詣風景です。
偕楽園に隣接の常磐神社では参拝者の長い列が続き、御札や破魔矢などを求める方も切れ目なく続いています。
いろんな宗教の形式的なところだけを取り入れているわが民族のひとりですが、並んでまでのお賽銭はつい遠慮してしまいました。
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ここは水戸藩第2代藩主徳川光圀公(義公)・第9代藩主徳川斉昭公(烈公)を祀る神社で、明治の初めに義公・烈公の徳を慕う人々によって偕楽園内に創立された祠堂が勅旨をもって「常磐神社」の社号を賜り、明治7年(1874)、現在地に社殿を造営、水戸大空襲での焼失後、昭和33年(1958)現在の社殿が再建されました。
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茨城県護国神社では大きな篝火が焚かれていました。桜山の一画にある立地上、枯れた大木が豊富に積み上げられています。
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ここは、幕末の水戸烈士1800余柱を祭神として常磐神社境内に創祀された「鎮霊社」が昭和16年(1941)桜山の東側の現在地に移され、茨城県出身の戦没者63000余柱の霊が祀られました。
境内には、昭和19年末に日米両軍の壮絶な陸上戦が行われたペリリュー島で戦死した、水戸第二連隊主体の約1万人の慰霊碑も建てられています。
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偕楽園公園の梅の花は、探梅にもまだ早く、2,3輪やっと見つかる状況です。
去年建てられた俳誌「対岸」主宰の今瀬剛一さんの句碑「紅梅は水戸の血の色咲きにけり」の側の紅梅もまだ固い蕾です。満開に咲いた紅梅の色に、水戸っぽなどと称される水戸人の濃い血の色を感じて詠んだ句と解釈されています。
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梅林に植えられたニホンスイセン(日本水仙)は、寒さに耐え、うなだれながら咲いています。
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庭の福寿草もやっと小さく顔を出し、春の足音もかすかに聞こえてくるようです。