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考古学というと縄文・弥生などを思い浮かべますが、時代の制約はなく人類の営みを語るモノの研究だそうで、今回は明治から戦前までの遺物を通してその時代をみる企画展が2月24日まで水戸市埋蔵文化財センターで行われています。(月曜休館)
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明治から昭和初期まで水戸城跡から発見されたガラス瓶類です。廃城後の水戸城跡は、いろんな学校の他に図書館や武道館などがありましたが、どこで使われたものでしょうか、多様な色やデザイン、エンボス(陽刻)模様入などが見つかりました。
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水戸城跡で発見された銃弾は弘道館戦争のものと推定されます。藩内抗争の最終章、藩士同士が戦って約200人近くが亡くなりました。本丸御殿に居た斉昭公の正室貞芳院の近くまで銃弾が飛んできたといわれています。
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併設して2017年度の市内発掘調査の出土品も展示されていました。
中世の水戸を支配した江戸氏の支城、河和田城の出土品です。江戸氏の重臣春秋氏が守る河和田城は、1590年佐竹氏の水戸城攻略の翌日に攻められてわずか一日で落城、その後は廃城になリましたが、城主や主な家臣は水戸城攻防戦に出て既に戦死していたとも伝わります。
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今から200年前の私塾日新館跡から発見されたオランダ陶器の碗と日用陶器、便器などです。北関東でも随一の規模で1000人以上の塾生を育てた加倉井砂山の蘭学との関係を示すものといえます。
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水戸藩9代藩主斉昭公の藩政改革のひとつ殖産興業で挙げられるのが七面焼です。偕楽園下に陶器製造所(七面製陶所)をつくり、水戸藩ブランドの製陶を目指しました。
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台渡里官衙跡遺跡群は、7世紀後半から10世紀初頭時代の那珂郡の政治の中枢、郡衙跡です。郡衙の付属の寺院跡から瓦が多数出土するいまだ謎多き遺跡です。
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薬王院東遺跡は弥生時代後期から古墳時代前期の集落跡です。古墳時代の竪穴建物跡から弥生土器が多数出土する、過渡期の珍しい事例になるそうです。
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大変地味な企画ではありますが、先人の暮らしや戦いの歴史を語りかけてくれる貴重な遺物の数々が身近で展示され、水戸の大地に思いを馳せることができました。