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日本の古墳の数は159、636基、近畿地方が有名ですが、茨城県にもなんと1862基あり全国20番目の多さだそうです。墳丘長60m以上の大型前方後円墳も38基あり、多く見られる霞ヶ浦周辺を訪ねてみました。
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舟塚山古墳群は前方後円墳6基の他に方墳、円墳など41基が確認されており、現在は22基が残っています。
その中の舟塚山古墳は5世紀後半の築造とされ、全長186mは県内最大、関東地方でも2位の前方後円墳で、後円部径90m、高さ11m、前方部幅100m、高さ10mの3段築成で、発掘調査は行われていませんが大量の刀が出土したと地元には伝わっているそうです。
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前方部から後円部望む…、奥の林は鹿島神社で社殿造営や前方部の墓地造営により若干の改変がみられます。
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後円部より前方部…右手奥には筑波山、左手に墓地が作られています。
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この地帯から見る筑波山は、何処から見ても鋭角な双耳峰が日本百名山の貫禄を示しています。墳丘に咲いていたツリガネニンジン(釣鐘人参)とのツーショットです。
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府中愛宕山古墳は、舟塚山古墳の北東300mに位置する全長97mの前方後円墳で、舟塚山古墳より少し後の6世紀前半の築造とされます。後円部径57m、高さ8.5m、前方部幅57m、高さ7.5m、前方部、後円部共に3段築成で前方部は霞ヶ浦方向である南東に向けられている事から舟が出る姿に例えて「出舟」と呼ばれ、それに対して舟塚山古墳は「入船」と呼ばれていました。
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かつて埴輪が出土したと伝わりますが詳細は不明です。前方部から望む後円部、墳丘付近には玄室を掘り返したような跡が見えます。
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三昧塚(さんまいつか)古墳は、全長85m、後円部径47m、高さ8m,前方部幅36.5m、高さ6mの5世紀後半の前方後円古墳です。周囲は濠でめぐらされ、約2mの深さがあったとされます。
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昭和30年に霞ヶ浦堤防工事で墳丘を掘削の際に発見され、箱式石棺内の伸展葬の遺骸のまわりにいろんな副葬品があり、その中の金銅製馬型飾付冠などは日本の古墳文化を考える貴重な発掘品として、国の重要文化財に指定されました。
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その後3度に渡る発掘調査を経て平成17年に復元整備されました。前方部より見た後円部の墳頂と右手は霞ヶ浦です。
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ここは三昧塚古墳公園として整備され、一画のコスモス畑よりも筑波山の双耳峰がきれいに見えています。
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霞ヶ浦右岸に位置する富士見塚古墳は、6世紀初めの築造とされる前方後円墳で、全長78m、後円部径38.4m、高さ11.5m、前方部幅49.4m、高さ9m。後円部から木棺、前方部から石棺が見つかっているそうです。
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標高35mの墳頂からは、冬の晴れた日にはその名の通り富士山をも望むことができるそうです。
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墳丘の西端から望む霞ヶ浦と筑波山です
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丘陵ふもとの展示館には、古墳から出土した埴輪や、発掘調査の説明パネル等が展示されています(入場無料)。
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大型の前方後円墳が古墳時代後期の6世紀前後にこの地域に多く築造されたのは、その被葬者が地域に勢力を持っていた支配者ということばかりではなく,大和政権が経済、軍事的に重要なこの地方に数多く置いた名代(なしろ)子代(こしろ)、部(べ)や舎人(とねり)などの地方管理者としての役目を併せ持つものであったとされています。これは畿内地方の古墳との類似や畿内で作られたと見られる副葬品が多数出土していることからも裏付けられるそうです。