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大洗磯前(いそざき)神社は太平洋に面した高台にあり、古くは薬師菩薩名神と称され医薬や疾病平癒、近年では豊漁や航海安全、家内安全の守り神として信仰を集めてきました。
祭神の大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)が文徳天皇の斉衡3年(856)12月29日に神社下の岩礁に降臨したと伝わります。大己貴命は大国主命(おおくにぬしのみこと)とも呼ばれ、出雲大社の主祭神です。
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一の鳥居は昭和38年竣工の鉄筋コンクリート製明神型で高さ16.5m、扁額には二品親王熾仁書と書かれています。
有栖川宮家の第9世、熾仁(たるひと)親王は17歳の時に孝明天皇の妹、和宮親子内親王と婚約しますが、公武合体策で和宮は14代将軍の徳川家茂と結婚してしまいます。その後の戊辰戦争で親王は新政府の東征軍大総督となり、倒幕の指揮をとるという皮肉な運命に翻弄されました。
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神が降臨したと伝わる、神社直下の磯の上にある「神磯の鳥居」です。光圀公がこの景観を「あらいその岩にくだけて散る月を 一つになしてかへる浪かな」と詠んだ歌が残っています。
ここは初詣の絶景ポイントとしても知られ、元旦には宮司以下神職も神磯に降り立ち初日の出を奉拝するそうです。
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二の鳥居も明神型で高さ10m、扁額は同じ熾仁親王の書です。これより急な階段を90段登り海抜26mの境内に入ります。
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彫刻で飾られた随身門の頭貫の木鼻は「籠彫」という透かし彫り、正面と背面の蟇股には祭神に因み「因幡の白兎」が彫られています。
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随身門から三の鳥居越しに海が見えます。神紋は十六菊と右三つ巴です。
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社殿は永禄年間の兵乱で焼失したものを、水戸藩2代藩主光圀公が元禄3年(1690)造営の工を起し、3代綱篠公が享保15年(1730)に現在地に遷座したと伝わります。拝殿は入母屋造銅板葺き、正面に千鳥破風、1間の向拝軒に唐破風が付いています。
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茅葺きの本殿は、美しい曲線の一間社流造(いっけんしゃ・ながれづくり)です。
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境内に錆び付いたり、貝が付いた錨などが納められていました。漁に関係する水の神様は、金属が嫌いとされており、魚網に引っかかった金属類はここに奉納してお祓いを受けるそうです。
捕鯨砲も置かれていてびっくりしました。
神社を取り囲む松林の中に磯節発祥の地の碑が建っています。
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三大民謡といわれる「磯節」は、地元の漁師達に唄い継がれてきたものが座敷歌になり、水戸出身の第19代横綱「常陸山」がマッサージを頼んだ関根安中の節まわしと唄声に惚れ込み、巡業の際に同行させて各地で磯節を唄い、全国に広まったといわれています。
松林の中で咲いていた野草です。
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ハマナデシコ(浜撫子)は名前のとおり本州から九州の浜辺に生えるナデシコ科の多年草で、つやのある肉厚の葉が特徴です。
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同じ場所にカワラナデシコ(河原撫子)も群生していました。河原や草原に咲くとされますが、海辺にも進出して咲く姿は、さすが別名大和なでしこの花言葉、「可憐」「大胆」そのものです。
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こちらはひっそりとウツボクサ(靭草)、拙ブログで前回も取り上げました。海辺の松林の中では青紫の色がより鮮やかに感じました。
さて、この一帯は22日より1か月間、海水浴シーズンを迎えます。コロナ感染対策で県内18の海水浴場はほとんど閉鎖になりましたがこの近辺の3場は開設されるようです。地元のいろんな事情はあるでしょうが、首都圏からの海水浴客が集中するのでは!?…我ら世代はとりあえず近づかないようにするしかありません。