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武田氏といえば甲斐の国ですが、その祖先は常陸武田氏というのが現在の通説のようです。源頼義の長子八幡太郎義家の弟新羅三郎義光は,後三年の役 (1083~1087)の後、常陸介に任ぜられて常陸へ赴任、長子義業を久慈郡佐竹郷(常陸太田市)に土着させ常陸進出の拠点とし、これが後世の大大名佐竹氏の祖になりました。
一方、吉田郡武田郷(ひたちなか市武田)に配された三男の義清は武田郷の地名をとって武田氏を名乗りますが、勢力拡張を目論む義清とその子清光の行き過ぎた行為が、常陸大掾の吉田清幹ら在地勢力に告発され甲斐国市河荘に配流となり、これが甲斐武田氏の祖となりました。
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それから約200年後の応永24年(1417)、甲斐に土着して勢力を拡げた武田氏の13代武田信満が上杉禅秀に味方し敗れて自害、弟の信久が千葉兼胤のもとに逃れ、翌年この地に住み着いて神明城を築き、8代目の武田通信が天文2年(1533)にこの木崎城を築き本拠を移しました。
※甲斐武田氏は、その後信満の子信重が甲斐守護として相続し、その5代あとが武田信玄となります。
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しかしこの城の歴史も約60年、天正19年(1591)には常陸国の所領を秀吉に安堵された佐竹義宣が、この地方の城主たちを太田城呼びよせて謀殺してしまう、いわゆる「南方三十三館仕置き」が行われ通信の子、武田淡路守信房も殺されてしまいます。城主不在の城もすぐに押し寄せた佐竹氏の軍勢に攻められ落城してしまい、常陸武田氏は約400年前には同じ源氏の兄弟だった佐竹氏によって皮肉にも滅ぼされてしまいます。
城は北浦を望む武田川のつくる低湿地に北側に向かって張り出した比高約20mの舌状台地です。
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※茨城城郭研究会編「茨城の城郭」記載の縄張り図をGoogle航空写真に落とし込んでみました。
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Ⅰ郭に今も残る香取神社は、築城の際に守護神として城内に建立されたと伝わります。城内の案内板には、文明10年(1478)大掾平国香内宿城の守護神として鎮斎、天文3年(1534)武田通信再建と書かれています。(常陸平氏の祖、平国香は平安時代中期の人物ですが…)
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祭神は経津主命(ふつぬしのみこと)です。なお、この地の東方約35キロの千葉県香取市には、全国約400社の香取神社の総本社、香取神宮が鎮座しています。
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Ⅰ郭とⅡ郭の間の堀跡は、400年の年月で浅くなってはいますが、北側の深い堀に落ち込んでいます。
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Ⅰ郭西側の腰曲輪と堀です。
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Ⅰ郭の北側は深い堀が谷へと落ち込んでいます。
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Ⅳ郭とⅢ郭の間の深い堀には土橋(奥の階段付近)が架かっています。
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Ⅲ郭は農地が広がり、東側には工場も建っています。
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Ⅲ郭にある廃屋の生け垣に絡まっていた烏瓜の実、まさにウリボウ(猪の子供)です。
なお、この城の支城「野友城」を、野友城(鉾田市)…常陸武田氏の支城 2021.6.22 で紹介いたしました。