常陸大宮市の旧山方町にある伝承の残る陰陽神社と陰陽山一帯は、陰陽山森林公園として遊歩道をめぐらした、自然と歴史を楽しめる公園になっています。
茨城県神社庁のホームページによると、『水戸藩2代藩主、徳川光圀公(義公)が寛文元年 (1661)に領内御廻村の時、この陰陽山に登りその巨岩に感動され、それまで呼ばれた夫婦岩を改名し陰陽石と名づけられて、二石並んでいる石の大きさを測らせ、東側の小ぶりの石(高さ10m横23m厚さ 2.5m)を陰石、西側の大きい石(高さ8.8m横 5.6m厚さ1.9m)を陽石と名づけられた。
そして、陰陽石を御神体として陰陽山大権現とし野上、 長田、上大賀、小貫、西野内、舟生、山方の七村の鎮守とし神社創建を思い立たれ、元禄4年(1691年)に社殿 が完成した。』と出ています。
陰陽山頂に立つ現在の社殿は文政2年(1819)に根本甚蔵、小口与兵衛、清水惣兵衛らによって改築されたものと茨城県神社庁の記述です。
県道沿いの駐車場から標高216mの陰陽山までは標高差約80mですが、急な階段が続きます。
変わった形の狛犬は、犬ではなく貔貅(ひきゅう)と呼ばれる伝説上の猛獣で、亀(霊亀)、龍、鳳(鳳凰)、麒麟とともに中国の五神獣と言われるそうです。広辞苑で引くと「古く中国で馴らして戦いに用いたという猛獣」と出てきました。
一度盗難に合い復元された記念碑が本堂前にあり、「貔貅は皇帝守護の霊獣にして華夏亡国に因り朱先生と倶に扶桑に来たり…」と光圀公の師朱舜水が日本に持ってきたと書かれています。
さて陰陽山のシンボルである陰陽石は、本殿真後ろの東側に陰石、西側に陽石が鎮座していましたが、東日本大震災で崩落したため、かって光圀公を感動させた雄姿を見ることはできません。
本殿後ろには見晴らし台が造られており、視界の広がる東側には遠く25階建て116mの茨城県庁(↓)が見えました。
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