ほぼ満開の梅に囲まれた弘道館の正庁前にある対試場で北辰一刀流と田谷の棒術の演武が行われました。
文武不岐を謳った弘道館の剣術は、斉昭公による各流派の合流が行われる中、新興流派の北辰一刀流は開祖千葉周作が一時水戸藩に仕えて100石で馬廻役、さらに門弟の海保帆平は500石で弘道館剣術師範となり、神道無念流とともに重用されました。
また江戸上屋敷で藩主の身辺警護の馬廻役を務めていた小沢寅吉政方は、千葉周作の神田お玉が池に開いた玄武館にも通い、後に弘道館剣術方教授を務めますが、明治維新を迎えて明治7年(1874)、弘道館近くの田見小路の自邸内に東武館という道場を設け、北辰一刀流の剣術及び新田宮流抜刀術を教え始めます。
それから約1世紀半、東武館は全国選抜少年剣道錬成大会を毎年開催するなど、民間剣道場としては特異な存在として知られています。
この東武館で北辰一刀流を習う低学年の剣士の可愛い気合が梅林に響き、斉昭公の七言絶句「雪裏春を占む天下の魁」の気が満ち溢れているようでした。
一方、田谷の棒術は,正式名称を「無比流兵杖術」といい、関ヶ原の合戦に出陣した黒田家家臣の槍の名人、佐々木哲斎徳久が開祖といわれています。
天明3年(1783)の天明の飢饉の際、食糧を狙う野武士や盗賊の侵入を防ぐための自衛武術として伝わり、水戸藩下の48か村の農民や漁民の間に広まりました。
実戦的そのもののこの棒術は、太刀や槍を持った敵から身をかわすための訓練を重視し、とくに相手を威嚇するために「ハァー!」「ヤァー!」と鬼気迫る迫力で発せられる悲鳴のような声が遠くまで響き、気合では剣術を圧倒していました。
さて、去年より2週間ほど早めの開花で、弘道館一帯はほぼ満開の状況になりつつあります。武の神、武甕槌大神を祀る鹿島神社の社前に斉昭公が植えたと伝わる「鈴梅」は、杉の木の下の劣悪な環境にめげず、花を開きました。
弘道館有料敷地内の「八重松島」、薄紅色が白壁によく似合います。
蕊の長い「巻立山」は李系の名花、すっきりした気品が感じられます。
「品字梅」は「座論紅」であるという説もありますが、一つの花から3個の実が生り「品」という字に見えることから水戸ではこう呼ばれています。花びらの先端が白い「覆輪」が色気を添えています。
いくら温暖化とはいえ、早い開花で梅まつり後半が心配になります。水戸の桜開花予報も3月18日と発表されていますので、遅咲き梅と桜の競演になりそうです。
つきあふには少し窮屈白梅は 桂信子
旅かなし白梅むしろ青しと見 鈴木真砂女
日かげりて薄紅梅の色もどる 鷹羽狩行
紅梅をなほ濃くしたる雨後の靄 能村登四郎
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