秋の七草は、今から約1300年前に編纂された万葉集にある山上憶良(やまのうえのおくら)の和歌2首がもとになり、後世に知られるようになったといわれます。
秋の野に 咲きたる花を 指(および)折り
かき数(かぞ)ふれば 七種(ななくさ)の花
※指のことを古語では「および」といいました。
巻8の1537 山上憶良
萩の花 尾花葛花 なでしこの花
女郎花また藤袴 朝貌(あさがお)の花
巻8の1538 山上憶良
凄まじい夏の暑さの余韻もやっと覚めて秋真っ盛り…万葉の時代に思いを馳せて、秋の七草の写真を在庫から探し出し、万葉集で詠まれた七草の歌と一緒に並べてみました。
萩の花
萩の花は万葉集で詠まれた一番多い花で141首もあるのは、どこにでも手軽に眼にする花だったからかもしれません。マメ科の落葉低木、花と実を見ればマメ科というのが納得できます。宮城野萩、丸葉萩などいろんな種類がありますが、秋の七草で詠まれたのは「ヤマハギ(山萩)」という説が多いようです。
我が宿の 一群萩を 思ふ子に
見せずほとほと 散らしつるかも 大伴家持 巻8-1565
※私の家の一群れの萩を恋しい人に見せないうちにあやうく散らしてしまうところでした。
※ほとほと:もう少しで(…しそうである)
この歌は巻8-1564に載っている日置長枝娘子(へきのながえおとめ)の歌に対する大友家持(おおとものながもち)の返歌とされています。
秋づけば 尾花が上に 置く露の
消ぬべくも我は 思ほゆるかも 日置長枝娘子 巻8-1564
※秋らしくなると尾花の上の露のように、身も心も消えてしまいそうなほどあなたを思っています。
このような恋の歌のやり取りは「相聞歌」とよばれ、万葉集全体の約半数を占めています。今放映中の大河ドラマ「光の君へ」は、万葉の時代より約300年後の平安の貴族生活を描いていますが、やはり「相聞歌」が出てきました。
宮廷文化が熟したこれらの時代には、一夫多妻や通い婚が認められ、恋愛は物語や和歌の題材として頻繁に取り上げられていました。貞操観念も厳しくなく恋愛に対するおおらかな時代であったと言えるかもしれません。
尾花
尾花はススキのことで、尻尾のような花穂の形からよばれ、茅(かや)、萱(かや)とも呼ばれ41首も載っています。
人皆は 萩を秋と言ふ よし我は
尾花が末を 秋とは言はむ 作者不詳 巻10-2110
※人は皆、萩こそ秋の花だという、いいや私は尾花の穂先こそもっとも秋らしい といいたい。
万葉の時代にも大多数の意見に逆らって自分の意思を述べる軟骨漢がいたようです。
葛花
葛はマメ科クズ属の蔓性植物で、荒地や廃屋などすさまじい繁殖力で蔓延っているので、現在では歌のイメージには程遠いものがありますが、根は葛根湯など薬用、また葛粉(くずこ)として使われます。21首の歌が詠まれています。
真葛延ふ 夏野の繁く かく恋ひば
まことわが命 常ならめやも 作者未詳 巻10-1985
※真葛の蔓延る夏野のようにこれほど恋い焦がれたなら、本当に私の命はどうかなってしまうかもしれない
なでしこの花
七草の撫子の花は、「ヤマトナデシコ(大和撫子)」とよばれ日本女性の美しさをたたえるときに使われる「カワラナデシコ(河原撫子)」のことです。本州以西に自生するお馴染みの植物ですが、最近では自然破壊などで減少しているそうです。
万葉集掲載の「撫子の花」は26首、そのうち11首は万葉集編纂の中心人物とされる大伴家持の恋の歌です。
朝ごとに 我が見る宿の なでしこの
花にも君は ありこせぬかも 笠女郎 巻8-1616
※私が毎朝庭で見るナデシコの花があなたであったら、毎日顔を見ることができるのに…
笠女郎(かさのいらつめ)が大伴家持(おおとものやかもち)に贈った歌で、家持は、正妻や妾の他にも、何人かの女性との間に恋のやり取りがあり、交わした相聞歌が万葉集に多く載っています。女性にモテた平安のプレーボーイ家持に笠女郎が出した歌は29首、でも返された歌はたった2首だったと伝わります。
女郎花
14首詠まれたおみなえし(女郎花)は、昭和の野山でよく見かけましたが、最近では園芸店で購入して庭に植えている方も多くなりました。
「女郎」を意味する「オミナ」と、「圧(へ)す」という意味の「エシ」から、美人を圧倒するほど美しいという命名由来説があります。
をみなへし 咲きたる野辺を 行き巡り
君を思ひ出 たもとほり来ぬ 大伴宿禰池主 巻17-3944
※女郎花の咲いている野辺をめぐり歩きながら、あなたを思い出してはあちこちと女郎花を求めてさまよって来ました。
※たもとほる:廻(めぐ)って行く 行きつ戻りつする
大伴宿禰池主(おほとものすくねいけぬし)は、大伴家持の親族で越中国守として家持が赴任した地に、越中掾として在任しており互いに歌を詠みあった仲でした。この歌も着任後に催した宴の主人家持が詠んだ歌に対する返歌とされます。
藤袴
フジバカマ(藤袴)の万葉集の歌は冒頭の1首だけです。
萩の花 尾花葛花 なでしこの花
女郎花また藤袴 朝貌(あさがお)の花
山上憶良 巻8の1538
フジバカマの葉には桜餅を思わせるような芳香があり、平安時代の貴族の女性は乾燥した藤袴の葉を入れた匂い袋を身に付け香りを纏ったそうです。
朝貌の花
万葉の時代には朝に咲くきれいな花を朝貌の花と詠んだようで、現在のキキョウ(桔梗)のことだとする説が有力です。5首詠まれています。
展転(こいまろ)び 恋ひは死ぬとも いちしろく
色には出でじ 朝貌の花 作者未詳 巻10-2274
※転げまわるほど苦しむ恋で死んでしまおうとも、はっきりと顔には出しません、朝顔の花のようには。
※展転(こいまろ)び:転げまわること いちしろく:はっきりと(古語)
ところで万葉集の作者不詳の歌は約半分もあります。
7世紀から8世紀後半にかけて朝廷によって収集されてきた歌を、大伴家持が中心になって約4500首を20巻にまとめた万葉集には、天皇や皇族、貴族だけでなく、防人(さきもり)や農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められているとされています。しかし当時の識字率は5%という説もあるので、恐らく作者不詳の歌は、下級の貴族や官人、僧侶など身分が低くても文字の書ける限られた階層の人たちの歌だったのではないでしょうか。
いずれにしても1300年以上前の我らが祖先の、いまよりもずっと激しい恋の歌に圧倒されてしまいます。
このたびはフォローしていただきまして、ありがとうございます🍀ふつつか者ですがごめいわくにならないよう気をつけますので、どうそよろしくおねがい申しあげます⤵⤵
家族に歴女がおりまして✨
歴史的なお話にひかれます💛
山上憶良は「貧窮問答歌」でもわかりますが、目線が優しいですよね🍀✨
昔の人がはげしい恋の歌をのこすのは、短命だったからでしょうか・・💎
1300年前の先人たちが花鳥風月にからめて詠んだ恋の歌の
激しさに令和の無粋な子孫はただ驚くだけですが、山上憶良は
その中でも下級の人々の生活にやさしく目を向けた、今でいう
「社会派」の歌人だったようですね。
「短命だからの激しい恋」…、確かに本能的な種の保存からいえば
そうかもしれません。
コメントありがとうございます。
大伴家持、確かに会ってみたいですね。
放映中の大河ドラマに出てくる宮廷に出仕する衣装の貴族たちを
思い浮かべてしまいます。
コメントありがとうございます。