顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

真夏の水戸城二の丸

2016年08月20日 | 水戸の観光

水戸城二の丸の水戸二中脇の道路際でしばらく工事をやっています。
覗いてみると、丁寧な発掘作業をしていました。穴の部分は柱の跡のようで、何の建物かは分からないが多分倉庫かなと現場の人は言っていました。

こちらは水路の跡、石でできた樋がしっかり残っています。
大手門付近でも同じような水路が発見された時の説明では、2代藩主光圀公が1662年から敷設した、国内18番目に古い上水道の「笠原水道」と同じ素材、同じ工法であり、多分初代藩主頼房が水戸城整備した時のものとされていましたが、今回も同年代のものでしょうか。この発掘は、水道工事に伴う記録保存のための作業で、間もなく埋め戻してしまうそうです。

この工事を見下ろす大シイの木、説明板によると、水戸市指定記念物「天然記念物水戸城の大シイ2株」は戦国時代から自生していたと伝えられ、樹齢推定約400年のスダジイとあります。ということは、この水路の当時の様子をしっかと見ていたわけですが、残念ながら語ってはくれません。

大シイの脇の通路を入って突き当りが「見晴らし台」、いつも北からの風が天然のクーラーのように吹き付けます。見下ろす那珂川からの高さを実感すると、この城がまさに天然の要害であることがよく分かります。

見晴台斜面の木立の中に、面白い木の穴を発見、ハート型か水戸徳川家葵紋の一葉か…、暫し暑さを忘れたひとときでした。

真夏の夜の…カラスウリ(烏瓜)の花

2016年08月16日 | 季節の花

話には聞いていた烏瓜の花、夜暗くなってからの開花なので実際には見る機会はなかったのですが、気合を入れて夜8時過ぎに近所の道路脇で周りの目を気にしながらの撮影、花弁の縁が糸状に裂けてレースのように見える白い5弁の花、繊細、妖麗、まさに自然の神秘を見る思いですが、夜明け前にはもう萎んでしまう数時間の饗宴です。唐の国からきた朱色の瓜、またはカラスしか食べない瓜という由来の、イメージがイマイチの名前を補って余りありです。

そして翌朝5時、真夏の夜の夢はいとも儚く終宴し、レースもすっかり萎んで花弁の中に閉ざされてしまいました。この後受粉後の雌花には、緑色から、黄色、赤と変わるカラフルな実がなり、よく絵の題材とされています。
真夜中にこんな艶やかな花を咲かせる理由は、夜行性のスズメガを呼び寄せて受粉させるためだとされていますが、自然界はその営みの奥深さにいつも驚かされます。

ふはふはと泡かと咲けり烏瓜   松本たかし
真夜中に咲いて萎んで烏瓜   顎髭仙人

散歩道の植物…晩夏

2016年08月14日 | 散歩

いたるところに蔓延るクズ(葛)の花は秋の七草です。「蔓延る」という漢字が「蔓」が「延」びるとはまさしくその通り、盛夏には1日で1m程も伸びると言われるほど成長し、太い茎を伸ばして繁茂する害草になっています。根には大量のデンプンが貯蔵されており、これからクズ粉を採りますが、一般に流通している葛粉は、芋などのデンプンを混ぜたものが多いようです。なお、春先の新芽新葉は、天ぷらにすると美味です。

ナツズイセン(夏水仙)は、スイセンの仲間ではなくヒガンバナ属、葉っぱの形がスイセンと似ており、夏に花を咲かせるのでこの名前があります。また開花時に葉っぱがないので、ハダカユリの別名、英名ではマジック・リリー(magic lily)というそうです。

ギボウシ(擬宝珠)の花が散りかけています。春先の若葉がウルッパ(ウルイの葉)として美味しい山菜ですが、バイケイソウ(梅蕙草)という毒草に似ているため、よく誤食事故が報道されています。この近辺では、相当山間部に入らないとバイケイソウは見当たらないので安心ですが…。

シソ科の植物は難しい、種類も似ているものも多くて…調べたらイヌゴマ(犬胡麻)がよく似ていましたので、そういうことにしてしまいました。実がゴマの実にそっくり、食用にならないので、名前にイヌを付けました。

葉の右半分だけが黄色くなっています。自然はいろんなイタズラをしているようで、見つける楽しさもあります。

ゴールデンウイークに田植えした田んぼでは、稲穂もすっかり垂れ下がりまもなく収穫期を迎えます。ここは米どころ、早い田は今月末には稲刈りが始まり、コシヒカリの新米が市場に出回ることでしょう。

葛の葉をふみ返したる別哉  正岡子規
道果てて虚空をつかむ葛の蔓  顎髭仙人

山芋の花の雌雄?

2016年08月13日 | 季節の花
高速側道のフェンスに絡まって山芋の花、雄花と雌花が隣り合わせに咲いていました。普通は雄花の方が多いのですが、雌花がちゃんと控えているのが自然の摂理です。
山芋は雌雄異株、花が下向きに咲くのが雌花、上向きが雄花です。地中の芋には雌雄が関係ないようですが、受粉すると秋に雌花に翼を持った種子(ハナタカメン)がぶら下がります。子供の頃は、この異形の種子を鼻につけて遊んだ記憶があります。

山芋の繁殖は、雌雄両株の葉の付け根にできるムカゴや分割芋が一般的ですが、自然界では種子でも増えていくようです。この山芋の中で、特に山野に自生するのが「自然薯」、栽培もありますが、山間の物産店では山採りが高価で売られています。ということは、これも種子から増えた紛れも無い自然薯と言えるでしょう。

水戸黄門まつり2016

2016年08月08日 | 水戸の観光

昭和36年に始まった黄門まつりは、毎年8月の第1金・土・日の3日間開催され、かつては西村晃をはじめとする黄門様ご一行がゲストとして招かれて水戸市内を練り歩きましたが、1990年代初頭に一旦打ち切られたものの、2003年の第43回から水戸黄門パレードとして復活しました。

さて今年は56回、金曜日の千波湖畔の花火大会も快晴に恵まれ、土、日曜日も快晴猛暑、上市、下市とも歩行者天国になり黄門パレード、お神輿、山車などが練り歩きました。今年のゲストは、風間トオル、福原遥のご両人です。

祭りの華は神輿渡御、神社や神輿連12基の神輿が参加しました。江戸時代の水戸の祭りの最大のものは、水戸御祭禮という東照宮の祭りということですが、今でも「権現さん水戸御祭禮」の幟がちゃんとはためいていました。担ぎ手の半被がいろいろなのは、お互いに担ぎ合うのでしょうか。       
山車太鼓合戦、南町3丁目、泉町の山車に久慈浜濱連が加わって大盛り上がり…、確かにお祭りはエネルギーを見る人にも振りかけてくれます。

子供の黄門行列、この他に水戸市のお歴々の黄門一行など様々な水戸黄門のお出ましです。仙人も参加した30数年前、頭髪真っ黒の頃を密かに思い出しました。

市民カーニバルでお馴染みの黄門ばやしの踊り連、最近は思い思いの出立ちでの出演が多く、48チームそれぞれが心の底から楽しんでいる笑顔いっぱいの熱演です。やはりお祭りは踊らにゃ損そんです。

茨城新聞社発行の水戸の近代100年によると、江戸時代の水戸の祭りで最大のものは、東照宮、そして吉田神社、明治になって常磐神社、雷神、二十三夜尊とありますが、いまはこの祭りが水戸最大の祭りになっています。ただ気になるのは年々人出が減っているような気がしてなりません。若い知恵を出し合って伝統と未来の融合した素晴らしい催しを今後も継続していただきたいと思います。