顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

そばの里 まぎの

2018年07月11日 | 食べログ

那珂川上流の鎌倉山(216m)付近を走っていたら、広い駐車場の蕎麦屋を見つけました。地図で見るとこの辺は茂木町大字牧野、地元では何故か「まぎの」と濁って言うので店名にしたと親父さん、入り口に畑で採れたての不揃いな野菜が置いてあるのに好感が持てました。

頼んだのは野菜天ぷら付きのざる蕎麦です。四角い蕎麦笊でなく陶器の皿に竹笊盛りが多くなってきました。蕎麦は細くて固め、香りもよくて好みです。自家製らしき野菜の天ぷらは素直で、那珂川流域の清々とした環境と相まって930円はお値打ちかもしれません。
後で調べたら地域で採れる山菜、野菜などを提供する農村レストランとして農業組合法人が経営している店でした。

ここを終点や始点にしたハイキングコースを計画したことのある鎌倉山(写真右手)、その下を蛇行する那珂川には大瀬観光やながあります。関東最大と言われる「やな」は、Ⅴ字型にせき止めた川の流れを集めて、竹などで編んだ簾に流し、産卵のため下流に下る鮎などを取る仕掛けですが、現在は7月中旬の開設に向けて工事中でした。

近くの道の駅もてぎの公園内に童話に出てくるような洋風の建物が建っています。案内板には明治から太正にかけてアメリカで活躍した日本画家古田土雅堂が帰国の歳輸入した組立住宅(地下室まで入れて159㎡)を太正13年に宇都宮市に建築したものを、平成11年に故郷茂木に移築したツーバイフォー工法の貴重な歴史的建物と書かれていました。

自衛艦やまぎり in 大洗港

2018年07月08日 | 日記

たまたま出かけた大洗港、第4埠頭に自衛艦やまぎりが停泊し一般公開されていました。大洗「海の月間」イベントとして「艦艇公開in大洗」を海上自衛隊が7日8日の2日間開催しているとのことでした。

やまぎり(DD-152)の分類上は護衛艦で、船団護衛に用いられた昔の護衛駆逐艦とは意味が異なり、海上自衛隊の保有する艦艇のうち対潜任務を第一義とし、航洋性をもつ現役の大型水上戦闘艦艇ということです。
排水量3,500 トン、全長137m、最大幅 14.6m、最大速力30ノット、乗員 220名。
二年前に護衛艦初の女性艦長が乗り込み話題になりましたが、現在も2代目の女性艦長が務めています。

SH-60J/Kヘリコプターを艦載する艦上へは受付で手荷物検査をして入るようですが、埠頭上には航空自衛隊の弾道ミサイルを迎撃する地対空ミサイル・システムペトリオットや偵察警戒車などの車両も展示されています。

マニアの方向けに自衛隊グッズや大洗のガールズ&パンツァーグッズ、地元産品の出店などが並び、海風の中で久しぶりに賑やかな会場になりました。

隣接する大洗シーサイドステーションも駐車場は満杯の賑わいを見せていました。

南隣の大洗わくわく科学館のミスト噴水では、子供たちが歓声をあげています。30秒くらいの間隔で噴水とミストの3種類に変化するようでした。

近くの空き地では、ヒルザキツキミソウ(昼咲月見草)がびっしり、アメリカ原産の帰化植物であちこちで見られるようになりました。小さくて可憐なこの花はまだ大丈夫ですが、特定外来生物も多くなり、国土の外来種防衛もしっかりとやらなければなりません。

かすみがうら市歴史博物館と嘉永版大日本史

2018年07月07日 | 歴史散歩

かすみがうら市歴史博物館は、昭和62年(1987)にオープンした、この地区にはもともとお城はなかったので、城郭型建築の資料館です。建設当時は出島村でしたが、この地域の文化遺産を後世に伝承・保存するために建てられました。(ホームページより)

田園地帯の中に突然の城郭で存在感は充分にありますが、平日のせいか来館者は他に見当たらず、いまの世なら建設の賛否騒動が起こっていたかもしれません。

3層4階で、1階は帆引き船関連資料と企画展、2階は郷土の暮らしをテーマに民俗資料、3階は郷土の歩みをテーマに古文書や考古資料が展示されています。
その資料館で「大日本史と近世、近代の教育」という企画展が開催されています。
新聞報道によると、大日本史の嘉永版100冊・木箱入りのものを、大日本史編纂室彰考館総裁の安積澹泊の御子孫から贈呈されたということです。

明暦3年(1657)に水戸藩2代藩主光圀公が編纂を始めた大日本史は、明治39年(1906)まで250年をかけ本記、列伝、志、表の397巻と目録5巻の402巻が完成しますが、途中何度か改訂を繰り返しました。
嘉永版の大日本史は、嘉永2年(1849)に光圀公150年忌に供えられた、本記・列伝243巻、100冊、丁数にして4536枚のものを再校訂したもので、斉昭公が跋文を付して朝廷をはじめ各方面に寄贈しました。(木箱入りのダイジェスト版でしょうか、仙人独白)
その後、江戸の書肆玉巖堂和泉屋金右衛門が販売を担当して、藩士や一般の手に入る書物となりました。当時の値段は「六両壱分ト銀弐匁七分」と伝えられています。(展示解説書より)

この他に、弘道館で使用された四書五経の教科書や、藤田小四郎が記した東湖の「正気歌」など貴重な資料が展示され、この館の学芸スタッフの熱意が充分感じられる企画展でした。(写真は展示解説書より借用させていただきました)
なお、この企画展は8月26日まで開催されています。(月曜休館・入場料/一般210円・小中学生100円)

もう梅雨明け?…自然に従順な庭の花

2018年07月03日 | 季節の花
平年より22日も早い梅雨明けで、6月末から猛暑が続きはじめました。老躯は順応できるか心配ですが、庭の草花は文句も言わず黙って花を咲かせています。
(予報では明日から梅雨の戻りがあるようで、1週間雨マークが付きました!!!)

しばらく花を眺める余裕がなかった日が過ぎました。雨の似合うアジサイ(紫陽花)の鑑賞期間も短かった気がします。名前の知っている数少ない花の一つ、ヤマアジサイの紅(くれない)、真っ赤な色で印象に残ります。

これもヤマアジサイ、買ってきた時の名札は紛失してしまいました。ガクアジサイの小振りなヤマアジサイがなんとなく好感がもてます。

一転してモナルダはタイマツバナ(松明花)といわれるように、鮮明な赤い花が力強く盛り上がるように咲きます、まるで夏を象徴するように…。シソ科ヤグルマハッカ属、爽やかな香りがするとありますが、暑さで微妙な香りが嗅ぎとれません。

いままでキキョウ(桔梗)と思っていましたが、よく見ると蕾の形が違います。調べてみるとモモバキキョウ(桃葉桔梗)かもしれません。どういう経路でここに咲いているのか全く不明です。今まで普通の桔梗と思って見ていました。

このシモツケ(下野)は落葉低木、バラ科の多年草シモツケソウ(下野草)とは木と草の違いでよく見ればわかります。シモツケは栃木県で自生していたのが命名で、シモツケソウはそれに似ているので名が付いたといわれています。

フロックスとヘメロカリスが咲き始めました。日本名オイランソウ(花魁草)、ノカンゾウ(野萱草)の仲間ですが、種類が多すぎてこの先の詳しい名前はわかりません。

イトバハルシャギク(糸葉春車菊)は宿根多年草、冬は地上部の葉を枯らせて越冬、春にまた咲かせるので、宿根コスモスという別名もあります。

アガパンサスは南アフリカ原産ですが、育ちやすいために世界各地で栽培され、根は太く強いので、土手などの土の流出を防ぐのに役立ち、海抜の低いオランダの堤防によく植えられたと聞いたことがあります。

芝生に出るネジバナ(捩花)は、のんびり育つ筈の花壇に移植してやると消滅してしまうひねくれモンです。芝の縁の生育環境の悪い所に並べて植えて見たら、機嫌よく一斉に花を咲かせました。

雑草さんのブログで紹介されたナナフシ(七節)、我が庭で初めて発見、今まで気付かなかっただけかもしれませんが…。木の枝に擬態するといっても、刈り込まれたサツキの上では、完全に見え見えです。節が7つと発見しましたが、「七節」の「七」は単に「たくさん」という意味で、体節を正確に7つもっているわけではないようです。