2013年10月5日(土)
『山岳事故』
<自省するばかり>
下記の文書は退院予定日(9月26日)の早朝、ベッド上にて携帯に記録したものであります。事故を起こして12日目のことなのですが、その後になって、事故現場におられたクライマーや、小屋関係者の方々、また小屋に居られた山岳ガイドさんにも、そして警察や消防署、そして病院の方々にも多大な迷惑を掛けてしまったことを知ることとなりました。心より感謝し、また自省するばかりであります。
また、帰宅してから連れて行ってもらった病院(脳外科や耳鼻科)で、「鼓膜内に血液が溜まっている」「耳奥の骨が骨折している」「左顔に神経麻痺がある」などが判明しました。咀嚼が上手く行なえず食欲が無く、ここのところ診察と点滴で毎日病院通いが続いています。
2013年9月26日(木)
『T山の会』
■参加者:ABちゃん、MOくん、YUさん
<滑落>
前尾根P3をサードで攀じり終え、安定した所でロープを解いていたのは覚えている、しかし滑落する直前直後の記憶は皆無だ。何ゆえ滑落するはめに陥ったのかが分からない、極めて微かだが、タンカーに載せられて下山して行く様子は記憶にあるのだが、車で搬送される記憶も、病院で治療を受けた記憶もまったくない。気付いたときには、眼前に上さんと娘の姿があった。
現地での入院生活は12日、左瞼上と左耳を縫ってもらったようだが、左後頭部脳内出血が原因と思われる、酷い目眩と頭痛、そして頸椎痛に悩まされる日々が続いた。今回の事故で一番迷惑をかけたのはABちゃんとMOくんに対してだろうが、救助隊の方々や病院関係者、そして家族にも多大な迷惑をかけてしまったのだが、さて今後僕は如何なる山行を思考してゆけばよいのだろう。
ところで今回の滑落事故は何ゆえ生じたのかと考える時、神前先生から聞いたという上さんの言葉を思い出した。その言葉とは、酷暑の中僕が懸命は走っているという話を上さんさんから聞いた先生が発した、「夏期、頑張り過ぎると秋に入って某かの弊害が生じる」であった。朝6時台に6.3kmを7月は18日、8月は27日、9月は13日までに10日間遮二無二走った。その間、山の会例会に6日出席し、山野走や孫との山歩きにも2日行っているのだが、これらの運動量が僕には過重であったという結果なのだろうか?
本年1月初旬に酷い腰痛に陥り、半年間仕事以外では殆ど身体を動かすことがなかったのも事実だ。しかしそのことが、我が身体力の衰えを加速させたというのだろうか?その衰退した身体に鞭打って酷暑中走り続けたことが、先生が言う「夏期、頑張り過ぎると…」に繋がったのではないかと思えて仕方がない。今後走ることが可能となったおりには、我が身体力に無理の無い範疇での体力増強のための某かの運動と適度なランニングに切り替える必要性があるのだろうと考えるが、そのための効率的且つ効果的な運動とは、どのようなものなのだろうか?
滑落前後の記憶が皆無だという状況ゆえ、信じられないことだが、もしかすればその時僕は眠っていたのかもしれないと考えた。前尾根登攀終了の安堵感と疲労から極めて瞬時のことかもしれないが意識が朦朧としていたのだろうか、14日朝の目覚めは4時、朝食を頂戴し朝風呂を楽しみ、車で天王寺駅にやって来たのが7時30分過ぎ、8時には二人を乗せて名阪へと車を走らせていた。64歳という年齢、つるべでクライミングに興じる間も自身ではまったく感じなかった心身の疲労が知らぬ間に我が体内に蓄積していたのだろうか?幸いなことに骨折は無い、左眉毛辺りと左耳を縫ってもらっただけだが、左後頭部脳内出血の影響だろうか、頭痛と目眩が激しく、また左顔面を強打した所為で、左瞼と口が上手く動かないという症状が生じている、加えて食欲が無く、25日の計量では近年最低の57.3㎏を記録した。