◆撮影:2013年7月13日、八ヶ岳(大同心稜)にて
(ハクサンシャクナゲ)
2013年10月16日(水)
『記憶の消滅』
<何ゆえ生じるのか?>
昨夕食時、上さんと話すなかで、新事実が判明した。それは、僕が滑落事故を起こしたのが9月14日の夕刻。病院へ搬送されたのが15日未明であったのだが、その日の内に、僕がまだ救急病棟に居るときに、台風の影響で風雨が強まる中、大阪より車で上さんと次女が幼い孫二人を乗せて駆けつけてくれたというのだ。頭部や身体が動かないように固定されていたという僕は、「頭が痛い、お腹が痛い」などと唸り、二人や周囲の方々と話をしていたらしいのだが、その時の記憶が今、我が脳裏中にはまったく存在しない。次に二人がやって来たのは台風の影響が治まった二日後の18日だそうで、僕が一般病棟へと移動済みのときであったそうだ。その時に二人が現れたのは微かに覚えていて、僅かにしろ言葉を交わした筈なのだが、そのときの言葉も記憶に残っていない。二人が二度も四日市まで足を運んでくれたことを、昨日まで僕は理解していなかった。
併しだ、何れにしても、タンカーに乗せられて下山するときの微かな僅かな記憶を除くと、滑落事故前後の記憶も含めて、滑落後、ルンゼを自身の足で下降した記憶も、救急車で搬送され病院に到着した記憶、治療を受けた記憶も、我が脳裏にはまったく残っていない。それゆえ、様々な事柄が記憶から消滅してしまっているという事実は開違いがないことなのだが、しかしそういうことは如何なる時に生じるのだろうか。不思議だ。