夏になるちょっと前に、パン種を乾燥種にしました
いつもより一か月ほど早かったのですが、少しさぼり癖がついてしまい
夏が終わってもパン作りに手が出ません。少しずつですが乾燥種を元のパン種に戻していました
状態がよくなかったので、少しずつ足しては焼き、また足しては焼き、気づいたら冷凍庫は食パンだらけ
けさ見たら、発酵がうまくいっていました。寝坊してしまい、少し膨らみすぎています
それでもまたこうして元気になってくれたので一安心です
時間をオーバーしてしまったので、あと一息でした
まぁまぁの80%の出来です…
この食事を始める前、300g増→300g減(便秘)→300g増
今回は、朝、晩、市販の和菓子を食べています。そのせいかもしれません
ちょっとしたことでかわることもあります
朝昼のごはんは同じメニューなので写しませんでした
今日は、かつを煮とワカメのサラダ(和風ドレッシング)です
少なーと思うかもしれませんが、かつを煮はかなり凝縮されています
間食は栗まんじゅうです。何度食べてもおいしいです
不思議なことに、同じメニューでも飽きることはありません
ただ、続けて食べると私も自分の作ったものが食べられないので
三日ほどあけてから献立セットを始めています
明日耳鼻科で、あさって、歯医者さんです。今日はいつになく、歯の調子が悪いです
歯に食べ物が挟まっていたので、フロスでとっていました
いつもはなんともないのに、段々痛くなってしまいました
病院続きなので、パンが焼けません
そこであさってに持ち越しました
あともう少しなのです。このパン種だけは、生涯続けたいのです
林 弘子(はやし ひろこ)先生のことだけは忘れたくない、と思っています
そして、父親のことも少し思い出しました
入院する前、父親に呼ばれて、実家に行ったのです
亡くなった母が履いていたズボンを持って行けということでした
私が履けるものでもないのですが、今もなんとなく持っています
身長があまりなかったので、どちらかというと、姉のほうがぴったりだと思うのです
しかし、太ってしまったので、入らないと思いました
だから、母のズボンのことは姉も知らないと思います
そして父が亡くなってから、少しばかりのお金もいただきました
それを住宅ローンの支払いにまわしました。そのおかげで私も助かっています
そのお金は、畑を売った時のお金だと聞いています
しかし、どれくらいで売れたのかは私もよく知りません
元々お金には執着しないたちなので、どうでもよいことでした
きょうだい4人と当時は姉の旦那様の分もありましたので、5等分となりました
いつだったか、姉がこんなことを申すのです…
「私は父親から一銭ももらってないわよ」
「???」
私はびっくりしました。もらってない?そんなことはないはずです
私は金額を覚えていません(忘れたのです)が、もらったことはちゃんと覚えています
記憶違いだとは思えません。記憶にないのでしょうか…
それを確かめるのが怖かったので、そのまま話を終えました
そして、私は夫から、慰謝料ではなく、医者料(治療費)として生活費をいただいてるのだと
解釈することにいたしました
父のことを許せるのも間近だと思っています。母のこともそうやって許す、ということをしてきました
夫のことは…考えたくありません
夫自身が病気で倒れた時に、ようやく人のありがたさを実感できるのだと思っています
私の病気も治らないんだね