♪♪あなた知ってる?~広島~

HP「広島ぶらり散歩」編集&更新の履歴ブログです。
広島市は“平和都市”のほか“水の都ひろしま”も推進しています。

大竹市:(旧西国街道)玖波宿

2011年09月12日 20時47分41秒 | 雑関連
大竹市玖波地区が『西国街道が町の中心を南北に走っているため、江戸に向かう西国の大名行列や幕府巡検使、文人などが行き交い大変な賑わいをみせていた宿場町です。・・・・』と広島県観光連盟等発行「広島県・ふるさとの散歩道」で知り機会があったら行ってみようと思っていたのです。
1984年広島県は当時の国鉄とタイアップして「SunSun(サンサン)ひろしま」という観光キャンペーンをしていたので、上記の「ふるさとの散歩道」買い求めてわたしは見ていたのです。
読んでから四半世紀にもなる今回ですが、玖波地区のぶらり散歩にも『山と川、情緒豊かな旧山陽道の歴史を訪ねる大竹散歩コース』の一部を参考にして計画を立てました。

(旧西国街道)玖波宿

広島ぶらり散歩「大竹市」編
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番外:(四境の役殉難者)平和塔

2011年09月12日 14時05分15秒 | 何処へ行っても
「四境之役砲台跡」碑の根際に「平和塔」が建っていました。
(広島県)大竹市には被爆後負傷した人たちを収容したと聞いていますので、
川一つ越えたこの地・和木町(山口県というものの)でも負傷者を収容したのかもしれないと思ったのです。
この碑が昭和23年建立という事から原爆関連の平和塔かと思いましたので、
和木町役場で尋ねれば、教育委員会に連絡して聞いていただいた処によると、原爆関連の平和塔ではなく、「四境の役」で亡くなった方々の供養のために建立されたようですと教えていただきました。

(四境の役殉難者)平和塔

何処に行ってもぶらり散歩「山口ぶらり散歩」編
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番外:四境之役砲台跡・碑

2011年09月12日 08時54分50秒 | 何処へ行っても
JR和木駅から和木町役場に行っているときに左手に小さな公園がみえてきました、近づくと石碑(石柱)が見えましたので立ち寄りました。
和木町教育委員会が昭和60年10月建立した石碑でした。
碑面表にあたる面は植栽に隠れわかりませんでしたので、植栽をかき分けて「四境之役砲台跡」碑であることがわかりました。
この辺りが砲台あとだったのだろうなと思いながらみましたが、その残り香はないようでした。

四境之役砲台跡・碑

何処に行ってもぶらり散歩「山口ぶらり散歩」編

9月12日晴れ



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