中区上幟町の広島女学院中高校に建立されている「広島女学院高等女学校職員生徒慰霊碑」です。
1953年に東区牛田東の女学院・大学に建立され、1991年にこちら中区上幟町に移設されたそうです。
広島女学院高等女学校1、2年生350人は、雑魚場町(現在の国泰寺町1丁目。爆心地から≒1,200m)で建物疎開作業中に被爆し、大半が死亡したり、重軽傷を負ったそうです。
慰霊碑左右に設置の「原子爆弾犠牲者名」石碑には、教職員20名、学生・生徒330名のお名前が刻まれています。
広島女学院高等女学校職員生徒慰霊碑
「原爆関連慰霊碑・平和祈念碑等」編
1953年に東区牛田東の女学院・大学に建立され、1991年にこちら中区上幟町に移設されたそうです。
広島女学院高等女学校1、2年生350人は、雑魚場町(現在の国泰寺町1丁目。爆心地から≒1,200m)で建物疎開作業中に被爆し、大半が死亡したり、重軽傷を負ったそうです。
慰霊碑左右に設置の「原子爆弾犠牲者名」石碑には、教職員20名、学生・生徒330名のお名前が刻まれています。
広島女学院高等女学校職員生徒慰霊碑
「原爆関連慰霊碑・平和祈念碑等」編
6月6日(安芸区のわが家付近)天候:くもり