中区加古町の本川沿い緑地帯に1985年に中国新聞社労働組合によって建立された「原爆犠牲新聞労働者の碑」(不戦の碑)です。
太平洋戦争末期には中国新聞社にも国民義勇隊が編成され他の新聞社、通信社の広島支局職員もこれに編入され総勢363名だったそうで、
1945年8月6日もそのうちおよそ40名の方々が水主町附近(現・加古町のこのあたり)の建物疎開に動員され全員が爆死されたそうです。
碑裏の犠牲者プレートには、130名のお名前が刻んであります。
原爆犠牲新聞労働者の碑
「原爆関連慰霊碑・平和祈念碑等」編
-------------------------------------------------------
「沖縄の2つの新聞はつぶさないと いけない」の発言に同調した議員たち、
憲法違反でもごり押ししようとしている安保法制を考えれば、
現代において、言論統制が国会の多数で現実味を帯びてきた?
もの云えぬ国にしてはいけないことは、わたしごときが云わなくてもわかることですが。
太平洋戦争末期には中国新聞社にも国民義勇隊が編成され他の新聞社、通信社の広島支局職員もこれに編入され総勢363名だったそうで、
1945年8月6日もそのうちおよそ40名の方々が水主町附近(現・加古町のこのあたり)の建物疎開に動員され全員が爆死されたそうです。
碑裏の犠牲者プレートには、130名のお名前が刻んであります。
原爆犠牲新聞労働者の碑
「原爆関連慰霊碑・平和祈念碑等」編
6月29日(安芸区のわが家付近)天候:はれ
-------------------------------------------------------
「沖縄の2つの新聞はつぶさないと いけない」の発言に同調した議員たち、
憲法違反でもごり押ししようとしている安保法制を考えれば、
現代において、言論統制が国会の多数で現実味を帯びてきた?
もの云えぬ国にしてはいけないことは、わたしごときが云わなくてもわかることですが。