中区小網町の天満川河畔緑地帯に建立されている「広島市立中学校職員生徒慰霊碑」です。
当初、1948年建物疎開作業場所に近い三光寺に建立されました。
1975年8月6日現在地に移設されるとともに、「慰霊」と刻まれた石碑などが追加建立されています。
碑銘は「原爆三百六十九霊塔」となっていますが、
碑文では碑建立後の1柱を加え三百七十余名となっています。
多くの方々が犠牲になったのです。わたしのいとこ(と云っても随分年上ですが)八束嘉孝さんもこの近くで建物疎開作業中亡くなったと推測されこの碑に名をとどめています。
広島市立中学校職員生徒慰霊碑
「原爆関連慰霊碑・平和祈念碑等」編
当初、1948年建物疎開作業場所に近い三光寺に建立されました。
1975年8月6日現在地に移設されるとともに、「慰霊」と刻まれた石碑などが追加建立されています。
碑銘は「原爆三百六十九霊塔」となっていますが、
碑文では碑建立後の1柱を加え三百七十余名となっています。
多くの方々が犠牲になったのです。わたしのいとこ(と云っても随分年上ですが)八束嘉孝さんもこの近くで建物疎開作業中亡くなったと推測されこの碑に名をとどめています。
広島市立中学校職員生徒慰霊碑
「原爆関連慰霊碑・平和祈念碑等」編
6月23日(安芸区のわが家付近)天候:はれ