きょうの臨時版は、
2009(平成21)年から編集しだしたHP「赤穂義士関連」編を紹介させていただくことにしました。
広島が浅野本家で赤穂・浅野家、三次・浅野家は分家の関係にあることから広島にも少なからぬ縁があるのです。
また、赤穂浪士の総師・大石良雄が1703(元禄16)年刑死の時三歳だった三男・大三郎こと大石良恭(よしやす)が、その母・りく(併せて大三郎の姉・るり)とともに広島藩に招かれたのが1713(正徳3)年12歳のときで、広島藩に仕え広島在住58年、その死は1770(明和7)年69歳のときでした。
編集頁には、番外として2013年訪ねた東京の泉岳寺にある赤穂浪士関連の碑など、
そして2018年訪ねた播州赤穂にある赤穂浪士関連の碑なども取り上げています。
(裕編集の)「赤穂義士関連」編
2009(平成21)年から編集しだしたHP「赤穂義士関連」編を紹介させていただくことにしました。
広島が浅野本家で赤穂・浅野家、三次・浅野家は分家の関係にあることから広島にも少なからぬ縁があるのです。
また、赤穂浪士の総師・大石良雄が1703(元禄16)年刑死の時三歳だった三男・大三郎こと大石良恭(よしやす)が、その母・りく(併せて大三郎の姉・るり)とともに広島藩に招かれたのが1713(正徳3)年12歳のときで、広島藩に仕え広島在住58年、その死は1770(明和7)年69歳のときでした。
編集頁には、番外として2013年訪ねた東京の泉岳寺にある赤穂浪士関連の碑など、
そして2018年訪ねた播州赤穂にある赤穂浪士関連の碑なども取り上げています。
(裕編集の)「赤穂義士関連」編
令和元年5月2日
♪♪夏も近づく八十八夜・・・
(安芸区のわが家付近)天候:はれ