広島市中区基町のパセーラ前広場に建立されている「広島城・大手廓(外廓)跡」説明板です。
※説明板が設置されている場所が江戸時代大手廓の中でしたので説明板が設置されたのでしょう。
広島城大手廓おおてくるわ(外郭がいかく)跡
『広島城は、安土桃山時代に中国一帯を領した毛利輝元(1553-1625)が、瀬戸内海へと流れ込む太田川の三角州に築いた平城です。
1598年築城が開始され、1600年の関ヶ原の戦いの後、毛利氏に代わって入城した福島正則(1561-1624)が外郭の堀・櫓などの整備を実施しました。
その時の姿が1619年に入城した浅野氏に受け継がれ、ほぼ明治時代まで維持されました。・・・後半略・・・』
*この説明板の設置者が不明ですので、説明文の中に(文責を)記述しておかなくてはとわたしは思うのです。

2023年8月に閉店した“そごう新館”を2024年1月になりましたが見ようと立ち寄ってみたとき、パセーラ広場にここで取り上げた「広島城・大手廓(外郭)跡」説明板が設置されていることに気が付いたのです。
〔あすからこのブログで取り上げる(広島城)八丁堀外濠跡などがよくわかる地図なのです。〕
(裕編集の)(広島城)大手郭跡・説明板
※説明板が設置されている場所が江戸時代大手廓の中でしたので説明板が設置されたのでしょう。
広島城大手廓おおてくるわ(外郭がいかく)跡
『広島城は、安土桃山時代に中国一帯を領した毛利輝元(1553-1625)が、瀬戸内海へと流れ込む太田川の三角州に築いた平城です。
1598年築城が開始され、1600年の関ヶ原の戦いの後、毛利氏に代わって入城した福島正則(1561-1624)が外郭の堀・櫓などの整備を実施しました。
その時の姿が1619年に入城した浅野氏に受け継がれ、ほぼ明治時代まで維持されました。・・・後半略・・・』
*この説明板の設置者が不明ですので、説明文の中に(文責を)記述しておかなくてはとわたしは思うのです。

2023年8月に閉店した“そごう新館”を2024年1月になりましたが見ようと立ち寄ってみたとき、パセーラ広場にここで取り上げた「広島城・大手廓(外郭)跡」説明板が設置されていることに気が付いたのです。
〔あすからこのブログで取り上げる(広島城)八丁堀外濠跡などがよくわかる地図なのです。〕
(裕編集の)(広島城)大手郭跡・説明板
2月13日(安芸区のわが家付近天候:はれ。
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