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東広島市安芸津町大田に建立されている「中浦芳人君頌徳碑」です。
*東広島市の旧大田小学校を挟んだ前の広場に大田小学校を見守るように建立されています。
碑文の大要は、
中浦芳人さんは、1919(大正8)年に早田原村大田地区に生まれました。上京し実業界で成功したので母校である大田小学校の講堂建設を提案しその建設費を寄付したことで講堂が完成するなど教育に貢献されたことなどで、安芸津町がこの碑を建てました。
「小早川隆平翁頌徳碑」 「中浦芳人君頌徳碑」
小早川さんや中浦さんが見守ってきた大田小学校は廃校になり、
いずれこれらの碑のことが忘れられていくことになっていくのでしょうか。
(裕編集の)中浦芳人君頌徳碑
東広島市安芸津町大田に建立されている「中浦芳人君頌徳碑」です。
*東広島市の旧大田小学校を挟んだ前の広場に大田小学校を見守るように建立されています。
碑文の大要は、
中浦芳人さんは、1919(大正8)年に早田原村大田地区に生まれました。上京し実業界で成功したので母校である大田小学校の講堂建設を提案しその建設費を寄付したことで講堂が完成するなど教育に貢献されたことなどで、安芸津町がこの碑を建てました。
「小早川隆平翁頌徳碑」 「中浦芳人君頌徳碑」
小早川さんや中浦さんが見守ってきた大田小学校は廃校になり、
いずれこれらの碑のことが忘れられていくことになっていくのでしょうか。
(裕編集の)中浦芳人君頌徳碑
6月7日(安芸区のわが家付近)はれ(洗濯日和)。
23.9℃、57%
忘れられていくのでしょうね~
況してや小学校が廃校となれば尚更でしょう。
記憶は薄れていきますから記録の大切さを感じます。
たぶん地域の人たちが感謝の意を込めて
建てられたと思うのですが、今どきこう
したものってなかなか建たないなぁと
思っています。時代が良いのか、それと
も...
大田村→早田原村→安芸津町→東広島市
2005年以来、東広島市民として生まれた大田地区の子どもたちが、
小学校が廃校になっても地区の歴史をしっかり学んでいるうちは忘れられることはないでしょうが、
廃校になるくらい子どもたちが少なくなってきていることを思えばいずれ忘れられていくのでは?
ここ大田地区だけではなく全国的なことなのかなと。
碑文から安芸津町が建立したと思います。
NET時代に、題の揮毫を関連ある有名人に依頼し、碑文を考え、石工に依頼して、
記念碑を彫れる石工自体も少なくなっているでしょうし、
そのような手間なことを考えればこれくらいの石碑はなかなか建立とはならない?