岩国市横山の吉香公園に建立されている「錦帯橋記」碑を取り上げました。
※玉惇成〔玉乃九華〕(たまの きゅうか:儒学者1797-1851)の撰文。
※『錦帯橋は5つの木造橋が連なる構造。その内、中3連がアーチ構造。両端の2橋は反りを持った桁橋構造。
「錦帯橋」の名前が初めて登場した史料は、宝永3年岩国の儒学者、宇都宮遯菴による「極楽寺亭子記(ごくらくじていしき)」の中に「またいわく、錦帯橋、錦見(にしみ)の里に近きを以てなり」と書かれてあり、錦見という地名から名付けられたのではないかと云われています。・・・』などと刻まれているのかな??
手前:皇太子殿下御成婚記念植樹・碑 。奥左手:錦帯橋記・碑。中央:吉川広嘉公像
(裕編集の)錦帯橋記
※玉惇成〔玉乃九華〕(たまの きゅうか:儒学者1797-1851)の撰文。
※『錦帯橋は5つの木造橋が連なる構造。その内、中3連がアーチ構造。両端の2橋は反りを持った桁橋構造。
「錦帯橋」の名前が初めて登場した史料は、宝永3年岩国の儒学者、宇都宮遯菴による「極楽寺亭子記(ごくらくじていしき)」の中に「またいわく、錦帯橋、錦見(にしみ)の里に近きを以てなり」と書かれてあり、錦見という地名から名付けられたのではないかと云われています。・・・』などと刻まれているのかな??
手前:皇太子殿下御成婚記念植樹・碑 。奥左手:錦帯橋記・碑。中央:吉川広嘉公像
(裕編集の)錦帯橋記
11月5日(安芸区のわが家付近)天候:はれ
錦帯橋 写真や旅行記などで見たことはありますが実際行ったことが有りません。
想像以上に立派ですね。日本三大奇橋の一つらしく自然の素材で造られていることに驚きました。
木曽の桟もその一つで木曽路を歩いたときに渡りましたが
中津川から塩尻迄全て徒歩で恐さ知らずの若いときでした。
錦帯橋記読み始めましたが半分で降参字が小さすぎて・・。
昔の人の知恵に驚くと共に何を根拠に木と土と石をもって造れたのか失敗から学んだのでしょうか不思議です。
ガーベラさんが云われるような体力的にも学問的にも若い時からの貯蓄がないわたしですので、記念碑の碑文を読むのは大苦労なのです。
錦帯橋記の最初は「橋」ですが、4行目の四段の字も「はし」ですが普通JISでは�となります。
どう使い分けをしているかの追及をしていませんが碑文を拡大してみると違っていたのです。
2005年わが町の水害碑の碑文を解説(解読)した資料は無かったので(いまでは広島大学が碑文も、現代文に解読した資料を公表していますが)、
わが町のことだからと、
(手に負えない碑文もたくさんありますが)
これは解読してみようと思ったのが、記念碑の頁を編集しようとしたきっかけでした。
http://masuda901.web.fc2.com/page8bf07.html
日本の木造物の素晴らしさで、
いわゆる巧が継承されてきたからでしょうね。