♪♪あなた知ってる?~広島~

HP「広島ぶらり散歩」編集&更新の履歴ブログです。
広島市は“平和都市”のほか“水の都ひろしま”も推進しています。

番外:ヒメリンゴ

2005年04月20日 14時46分21秒 | いまだ初心園芸
 りんごの花は青森県の県花とききます・・・
わが家の鉢物園芸、家花(なんて言葉はありませんが)何かなと考えているところです。
 
 ヒメリンゴ、蕾の時は薄いピンク色ですが、咲けば白い花、実になれば赤く・・
ヒメリンゴ、食べるには小さ過ぎるし甘くもない(酸っぱい)ので果実酒になるか観賞用に冬まで野鳥にも食べられず落ちていくかなのです。
コメント (8)

新庄橋

2005年04月20日 13時32分53秒 | 橋梁
 この新庄橋・橋脚をみると(昨日掲載した)三滝橋・橋脚が比べられると気の毒というほど安定感が違っていますね。
地震空白地帯と思っていた福岡で先の西方沖地震で大きく揺れ、きょうも大きな余震があったと・・・
2001年の芸予地震でゆらゆらとした広島も他人事ではないですよね、広島にも活断層があると聞きますから・・・

新庄橋
コメント

三滝橋

2005年04月19日 16時20分11秒 | 橋梁
 この三滝橋を下から見た時に直感的に大地震時の大きな横力に抵抗できず転倒する可能性がおおきいのではと・・・阪神大震災の例を出すまでもなく一本足橋脚の高速道が転倒した処は記憶に新しい、しかもこの三滝橋、持出し部分が長いと(過去の災害から学ぶことは多いものという大上段にかまえた話ではないし、恐怖心を煽ることにならなければいいのですが)・・・

三滝橋
コメント

新竜王橋

2005年04月19日 07時38分05秒 | 橋梁
 市内の橋を撮影しだして気づいたのですが、
橋脚から橋本体が落ちないような工事が施されているようです。
橋の種類などにより工法(方法)はそれぞれ違っている様ですが、阪神大震災の教訓からでしょうね。
この新竜王橋も撮影できる位置でしたので撮影しています、興味ある方は頁をみていただければと・・・

新竜王橋
コメント

南区:松原河畔公園

2005年04月18日 10時46分49秒 | 公園・緑地等
 この公園(緑地)の根際がバスの降車場になっていて、過去数えきれないほど利用し何度も歩いた事もあるのに今回の交流ウォークでその名前知ったのです。
それにもましてそこに『ヒロシマエバヤマザクラ』が接木されていたり植樹されている(まだ大木にはなっていませんが)ことは全く知らなかったのです。
ソメイヨシノと違いまだ散っていない花を今回撮影したのです。
 以前ならヌートリアを見ながらエバヤマザクラ観賞とのんびり出来たのでしょうが、昨年中ごろから姿を見かけなくなったヌートリア昨年の台風の影響があったのかと思っているのですが・・・

エバヤマザクラ   

猿猴川のヌートリア
コメント (2)

山手橋

2005年04月17日 09時35分22秒 | 橋梁
 この近くでハゼ釣をよくしていたのに、
この山手橋渡ったことがあったかなと思いながら撮影しました・・・
撮影した時、引き潮でしたので、シジミを採っている(漁師の方でなく市民)人が結構いました。

山手橋
コメント

中区:吉島東公園

2005年04月16日 09時51分39秒 | 公園・緑地等
 普通の街の中の公園です、ソフトボールが出来るくらいのグラウンドがあります、ゲートボール場にも利用されているのでしょうかね・・・
まち歩きをすればトイレに困ることもありますが、市内の公園にはごく小さな公園以外はトイレが併設されていますので利用させてもらうのです、ここ吉島東公園も国有林野関係職員慰霊碑を撮影に行った帰りにトイレを利用させてもらいました。

吉島東公園
コメント

己斐橋

2005年04月15日 12時08分06秒 | 橋梁
 資料をみていると昭和33年の旧己斐橋の写真がありました。
山手川を(太田川放水路として)拡幅途中の写真で、橋の(延長)部分だけがまだ放水路工事が着工できずに半島のように土地が残り民家も10軒以上残っている
旧山手川の川幅が倍以上になって太田川放水路になったことがわかりました。

己斐橋
コメント

安芸区:蓮華寺山石仏・八十八番

2005年04月14日 10時48分27秒 | 神社寺院等
 前回は気が付かなかったのですが、近くに説明板がありみると八十八番石仏・薬師如来像とある。
『薬師如来像容は、立像、坐像ともにあり、印相は右手を施無畏(せむい)印、左手を与願印とし、左手に薬壺(やくこ)を持つのが通例である。』と辞書にある。‘やくつぼ’と思っていたが「やくこ」だったのかと・・・
しかし石仏みても薬壷かどうかがよくわからなかったのですが、よくみれば薬壷かなとおもわれるのでした。

蓮華寺山八十八ヶ所石仏
コメント (2)

中区:広島城・太鼓櫓

2005年04月13日 12時52分42秒 | 公園・緑地等
 平成になって復元されたのですが、この建物が太鼓櫓という事は説明版を読むまでは知りませんでした。
 広島城の回りをぶらり散歩すれば原爆の傷跡や第五師団に関する戦跡などにも目が止まりますが、
広島城(戦前は国宝だった)に関する説明碑があることに気づきその歴史を紐解くヒントになっていくのです。

広島城(別名:鯉城)   
広島城二の丸跡
コメント (2)

原爆によって折れた鳥居脚部

2005年04月13日 00時01分03秒 | 被爆建造物等
 爆心地から僅か≒370m当時の広島護国神社は灰塵に帰したが、鳥居は被爆したにもかかわらず爆心地側の額(反対側の額は吹き飛ばされた)と共に現在位置は移設されたとはいえ健在なのです。
資料をみて、神社側の鳥居(爆心地からは遠い北側)は倒壊・破壊されていたが、その脚部が保存されている事を知り撮影したのがこの画像です。

被爆倒壊した鳥居脚部   

広島護国神社 
コメント

西区:(草津浜町)胡子神社

2005年04月12日 14時54分05秒 | 神社寺院等
 ここ草津浜町では胡子神社と書きますが、
恵比須神社、恵比寿神社などとも書いたりします。戎、胡、蛭子、夷などもPC変換で出てきます。

 一般に「恵比須」と書くことが多く、この場合の歴史的仮名遣いは「ゑびす」
語源はさだかではないようですが、夷、つまり異郷人に由来すると考えられ、来訪神、漂着神的性格が濃厚に観念されています。蛭子(ひるこ)とも、事代主神ともいわれています、祭紳が事代主神という説明版もよく見かけます。
 古くは豊漁の神として漁民に信仰され、また農神としても信仰されていたようです。夷(えびす)三郎。
生業を守護し福利をもたらす神として、わが国の民間信仰のなかで広く受け入れられている神霊なのです。

(草津南)住吉神社
コメント

被爆したアオギリ

2005年04月11日 13時22分20秒 | 平和記念公園
 昨(2004)年9月7日 台風18号の強風でにより倒れ、翌日復旧工事を施され起こされたのです。
毎月見てきたのですが4月9日みた時はまだ新芽が出ていないようでした?が・・・・
 アオギリの右手(西側)元安川河畔では花見の人々で賑わっていました。

アオギリ復旧後経過
コメント

平和記念公園広場2005年4月

2005年04月10日 18時51分18秒 | 平和記念公園
 昭和24年8月6日に法律第二百十九号として交付された『広島平和記念都市建設法』をうけて1954年(昭和29年)4月1日に完成した平和記念公園です。
広島平和記念資料館の下から原爆死没者慰霊碑越しに原爆ドームを撮影した処です。
満開だった櫻きょうの午後からの雨で散ってしまうのでしょうね・・・

平和記念公園
コメント

桜と原爆ドーム

2005年04月10日 09時14分34秒 | 平和記念公園
 原爆で多くの方々が亡くなった地で酒を飲んでいる事を不謹慎だと感じる方もおられます。
亡くなった方々への鎮魂、平和祈念などなどを広島市民忘れていないと思いますが・・・
桜の季節は日本風の花見で楽しんでもいいとわたしは思っていますが片付けとゴミの持ち帰りは当然にならなくてはと・・・

原爆ドームの四季    

広島市の桜
コメント