♪♪あなた知ってる?~広島~

HP「広島ぶらり散歩」編集&更新の履歴ブログです。
広島市は“平和都市”のほか“水の都ひろしま”も推進しています。

西区:光岡一芽句、山中邦子曲 「瀬音」歌碑

2018年12月18日 18時35分20秒 | 各種記念碑等
西区三瀧山の三滝寺境内に建立されている光岡一芽句、山中邦子曲「瀬音・歌碑」です。


























以前建立されていた位置から移設されていました。

(裕編集の)光岡一芽句「瀬音」
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西区:山隅衛歌碑「つく鐘の・・・」

2018年12月18日 07時29分22秒 | 各種記念碑等
西区三瀧山の三滝寺境内に建立されている「山隅衛歌碑(つく鐘の・・・)」です。



































この歌碑は、鐘楼の根際に建立されており、
歌碑の文字もそれなりに読めましたのでこの歌碑だなと撮影しました。

(裕編集の)山隅衛歌碑「つく鐘の・・・」
リンク先を間違っていました。8時55分訂正しました。

12月18日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

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西区:川本柳波句碑「落花急・・・」

2018年12月17日 18時38分16秒 | 各種記念碑等
西区三瀧山の三滝寺境内に建立されている「川本柳波句碑」です。



























川本柳波の句碑が建立されているのですから俳人なのでしょうが、
どういう経歴の持ち主かはいまのわたしにはわかりません。

(裕編集の)川本柳波句碑
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西区:丸山敏雄歌碑

2018年12月17日 08時22分47秒 | 各種記念碑等
西区三瀧山の三滝寺境内に建立されている「丸山敏雄歌碑」です。

丸山敏雄 (1892-1951)
1945年9月日常生活の純粋倫理、福徳一致を提唱し倫理運動をはじめる、
1946年しきなみ短歌会、新世文化研究所(のちの倫理研究所)を創立、所長に就任。
「純粋倫理」17の法則の提唱者。

(裕編集の)丸山敏雄(三滝寺)歌碑

12月17日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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西区:大木惇夫詩碑「ひなた」

2018年12月16日 17時53分35秒 | 各種記念碑等
西区三瀧山の三滝寺境内に建立されている「大木惇夫詩碑:ひなた」です。

素直に日向を掘っている
そのうちいいこともある・・・・

作者の心情を表現した詩なのだろうと思いました。
当初建立された場所からこの碑が移設されていたので、最初はわからなかったのです。

(裕編集の)大木惇夫:詩碑「ひなた」
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西区:大木惇夫詩碑「流離抄」

2018年12月16日 08時00分01秒 | 各種記念碑等
西区三瀧山の三滝寺境内に建立されている大木惇夫詩碑「流離抄」です。

大木惇夫(1895-1977)は、戦時中の愛国詩などによって非難を浴び、戦争協力者として戦後一転して文壇から疎外された経歴の持ち主です。
わたしは、平和記念公園に1961年建立されている祈りの像前にある「平和を祈り御霊を鎮めん」という詩碑ではじめて大木惇夫を知りました。
亡きオヤジが卒業した広島商業に建立されている(原爆死没者)慰霊碑の碑文も大木惇夫の詩が刻まれていました。

(裕編集の)大木惇夫:詩碑「流離抄」

12月16日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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廿日市市:篠尾城跡

2018年12月15日 18時34分24秒 | 雑関連
廿日市市天神にあったという「篠尾城の跡」を取り上げました。
※現在、篠尾城の残り香はありません。
(きょう朝このブログで紹介した廿日市天満宮前に)城跡だったという木柱が建ってはいますが。

文政年間の芸藩通志によると、
「桜尾城。(支城として)藤掛尾城、越峠尾城、谷宗尾城、宗高尾城、岩戸尾城、篠尾城」を七尾城としていたそうです。
その中の一城がこの篠尾城です。

(裕編集の)篠尾城跡
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廿日市市:廿日市天満宮

2018年12月15日 07時52分51秒 | 神社寺院等
廿日市市天神に鎮座している「廿日市天満宮」です。

廿日市天満宮は、厳島神社の神主として鎌倉幕府より任命された藤原親実が桜尾城に着任後の1233年藤原氏の守護神として鎌倉荏柄天神社を勧請して、
篠尾山に社殿を造り鎮座されたものと伝えられています。

(裕編集の)廿日市天満宮

12月15日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

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安芸区:(国道2号中野東)災害復旧工事はじまる

2018年12月14日 17時54分30秒 | 旧瀬野川町附近
7月6日西日本豪雨で、
瀬野川堤防が崩壊し、国道2号が安芸区中野東平原橋付近で寸断したのです。
(ここでの人的な被害がなかったのがせめてもの慰めではありましたが)
7月21日に仮復旧するまで、国道2号が寸断したのです。
(このブログで紹介した裕編集の)
7月21日国道2号寸断の中野東開通する

(上記画像)工事標識は月はじめから設置されていましたが、
夜間工事もあるようで、渇水期(と年度内)に工事を完了しようとしている?

今週の月曜日(10日)病院に行く途中重機の音がしていましたので、災害復旧工事が始まったことを知りました。
その時はデジカメを持っていなかったので、
きょう(14日)昼前に撮影しました。

平原橋下流側

黒色土嚢積みが仮堤防壁になっています。

川床でバックホーが作業中でした。


平原橋上流側

黒色土嚢積みが仮堤防壁になっています。

川床でバックホーが作業中でした、
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廿日市市:防火水槽用マンホール蓋

2018年12月14日 08時26分25秒 | マンホール蓋
廿日市市でみた「防火水槽用蓋」です。

以前、同じデザインの“消火栓用蓋”をみていましたが、
「防火水槽用蓋」は、初めてでしたので撮影して頁を更新しました。

廿日市市のマンホール蓋としては13種目の蓋でした。
(裕編集の)廿日市市のマンホール蓋

12月14日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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西区:原爆精霊供養記念石灯篭

2018年12月13日 07時53分32秒 | 原爆慰霊碑等
西区三滝山の三滝寺多宝塔前に建立されている「原爆精霊供養記念石燈籠」です。

多宝塔前には、天保八年丁酉九月十五日と刻まれた石燈籠が建っています。
その基部に(資料によると)「昭和26年春原爆精霊供養記念」と刻まれているそうです。

みましたが、わたしには刻まれた文字を今回も読み切れませんでした。

(裕編集の)原爆精霊供養記念石燈籠

12月13日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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西区:(三瀧寺に建立)比治山市営墓地土砂災害供養碑

2018年12月12日 09時22分24秒 | 雑関連
西区三瀧山の三滝寺に建立されている「比治山市営墓地土砂災害供養碑」です。
※供養碑台座に刻まれた碑文を読めば
『昭和57年7月16日中国地方を来襲した大型台風の天災と広島市比治山市営墓苑の管理不充分な人災により墓石や土砂が一挙に崩壊して日野家が破壊され愛児二人が一瞬に死亡した事は誠に痛恨のきわみです。・・・・』

昭和57年仙台支店からふる里広島支店勤務になったときでしたが、
比治山市民墓地で土砂災害があったという記憶は手繰り寄せることができなかったのです。

頁を編集した2009年当時は、
気象庁のNET情報はまだまだ貧困だったのですが、
今回みると、過去の台風について検索できるようになっていましたのでチト調べてみました。
碑文にある昭和57(1982)年の台風をみましたが7月16日前後に広島に影響を与える台風にはたどりつくことができなかったのですが。
『昭和57年は冷夏傾向で全国的に梅雨明けが遅れ大雨が続いていたそうで、
7月16日広島では223mmもの大雨になっていました。』

まさにその7月16日に土砂災害が発生して、前途揚々な2人の子どもを飲み込んでいたのです。

ことし7月6日西日本豪雨災害からの復旧はまだまだの状況で年を越される方々も多くおられることを忘れることはできません。


2008年1月16日撮影時には(後側に)龍神堂が建立されなかったのです


(裕編集の)比治山市民墓地土砂災害供養碑

12月12日(安芸区のわが家付近)天候:(雨上がり)くもり


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先ほどTVみていたら今年の漢字を揮毫していました。
“わざわい”と決まりましたね。
(森清範貫主が揮毫したものではありませんが)14:00追記
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西区:(三滝寺の)立太子禮記念・石碑

2018年12月11日 09時05分50秒 | 各種記念碑等
西区三滝山の三瀧寺参道根際に建立されている「(昭和天皇)立太子禮記念・碑」です。
※(のちの昭和天皇は)大正天皇の第一皇子で、1916年立太子礼により皇太子となりました。
(裕編集の)立太子禮記念・碑

明治M⇒大正T⇒昭和S⇒平成Hの次の年号は何になるのでしょうかね。
平成の世は、平穏には成らなくて災害が多かった時代だった様に感じています。

次の世は、安穏な時代になるといいのですが、ということで。
安Aからはじまる年代を予想したいのですが、どうでしょうか。
いままであった安□ 年代は、
安永、安元、安政(1854-1860)、安貞、安和
安政から100年以上間隔があきますので候補になってもいいのではと。
安久、安観、安仁、安応、安授・・・

あなたはどう予想されていますか?

12月11日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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西区:(三瀧寺)梵音の滝

2018年12月10日 18時35分39秒 | 雑関連
西区三滝の三滝寺境内にある「梵音之瀧」です。
※“三瀧”の名称の由来となった三つの滝
「幽明の滝」「梵音の滝」「駒ヶ滝」
梵音の滝は、三滝寺境内の中ほどに位置する滝で他の二つの滝よりも規模が大きく、約50mの絶壁から落ちてくる滝です。

四季折々みるのもいいのではと思うのです。

2006年11月18日撮影


(裕編集の)梵音の滝
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西区:(三瀧寺)駒ヶ滝

2018年12月10日 09時05分44秒 | 雑関連
西区三滝の三滝寺境内にある「駒ヶ瀧」です。

※“三瀧”の名称の由来となった三つの滝、
「幽明の滝」「梵音の滝」「駒ヶ滝」で、その内で一番下に位置するこの駒ヶ滝は、他の二つの滝と違って段々になった滝です。

(裕編集の)駒ヶ滝

12月10日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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