住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
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はじめて比丘になった人-釋興然和上顕彰7

2006年07月15日 10時40分03秒 | 日本仏教史、インド中国仏教史、真言宗の歴史など
「西遊日記」によれば、宗演は、セイロンの僧院で、昼間はパーリ語の戒本を読み、経典を素読し、晩には1、2時間、他の住僧と共に、パーリ語の礼拝、経文の読誦に励んでいた。興然も同様であったであろう。おそらく当時はインド式の、昔の日本で言えば読書百遍意自ずから通ずという古式に則った勉学に励んでいたと思われる。

ところで、戒本とは、パーリ・パーティモッカ(patimokkham波羅提木叉)であり、比丘が守るべき227の戒律について説示したものである。パーティモッカには、まず、性行為、盗み、殺人、悟ったと嘘を言うことなど4つのパーラージカ、つまり比丘をやめ僧伽を追い出される極重罪について規定してある。

次にサンガーディセーサ、欲の心から陰茎を弄し漏精することや女性に触ること、事実無根で他の比丘を非難し追放しようとするなどを戒めたもので、謝罪して他の比丘20人の許しをもって僧伽にとどまる13の重罪を説示する。また女性と一つの部屋に入りふしだらな行為に及ぶなど2のアニヤター、その行いによってパーラージカかサンガーディセーサか、次のパーチッティヤかを決める罪を決めていない戒を説示する。

そして、袈裟や臥具や金銭など持ち物の不正な取得について規定する30のニッサッギャ・パーチッティヤが説示される。これは不正所得の財を棄捨して告白懺悔することで許されるものである。また嘘を言う、他の比丘を罵る、午後食事を摂る、酒を飲むことなどを戒める92のパーチッティヤ、これは他の比丘の前で懺悔すればよい禁戒。

それから、無病の比丘が親族でもない比丘尼から手渡しに食事を施されるなど4のパーティデーサニヤーが規定される。これは一人の比丘に向かって告白することで許されるもの。そして、袈裟の着仕方や在家者の家に出向くときの規定、食事の仕方など学ぶべき75のセーキヤーがある。そして最後に僧伽の争い事の裁決の仕方を説く7のアディカラナサマタが説示され、併せて227の戒律が定められている。

これらの戒律が守られている聖域にともに暮らす僧団を比丘僧伽といい、お互いを善友という。この僧伽の中で共に暮らす、15才以上20才に満たない見習い僧を沙弥という。又は比丘になる前に数ヶ月から数年沙弥として見習い期間を過ごす場合もあるようだ。

沙弥は比丘に比べると遙かに少ないが、不殺生、不偸盗、不淫、不妄語、不飲酒に加え、正午を過ぎて固形物を食さない、歌舞音曲を鑑賞しない、装飾品、化粧などをしない、高い臥具大きな臥具を用いない、金銭を受け取らないという10の戒を守り、比丘になるための修養を積むことになっている。

興然も宗演も日本では既に四分律の大戒を受けていたであろうが、改めてパーリ律を守る上座部仏教僧伽で暮らすために取り敢えず沙弥として黄色い袈裟を纏い、僧院で研鑽を積んだのであろう。
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