『森は楽し。
世人の楽しまざる所において
愛著なき者は楽しまん。
これ、快楽を求めざればなり。』
(法句経九九)
五木寛之氏の『林住期』(幻冬舎刊)という本が売れているという。だが、この林住期とは、五木氏の新しい発想ではない。インド古来の生き方に現代的な光を当て、私たちの人生を完結させるためのヒントを綴ったものだ。
インドの人々は、昔から四住期に則って人生を捉えてきた。人生の生きる糧を学ぶ学生期、家庭を持ち養う家住期、そして、家を出て森に住み教えを学ぶ林住期、さらに聖地を巡礼して歩く遊行期の四つである。
定年して仕事から解放されたから林住期なのではない。この偈文にあるように、森は街のように人々を魅了する遊興娯楽の場ではない。街の喧噪を離れ、ひと時静寂を楽しむというのとも違う。何もない森で、一人坐り思索し無想となることに楽しみを見いだせねばならないのであろう。しかし、それはそう簡単なことではないであろう。
ところで、これまでに、どんなことでも結構だが、もうこれでよい、これについてはすべて完璧になし終えた、何も付け足すことはないと思えたことがあっただろうか。
実際には、逆に何事も不十分、不完全、心残りの連続ではなかったか。しかし、それこそが無常。世の中とはそのようなもの。すべて移ろいゆくが故なのだと、もし達観するなら、その人は既に愛著を離れた林住期の住人と言えるのではなかろうか。
(↓よろしければ、一日一回クリックいただき、教えの伝達にご協力下さい)
