住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

 <仏教のへそ> 

2008年01月10日 19時34分49秒 | 仏教に関する様々なお話
仏教とは何だろう。簡単にそのエッセンスを説明するために、今の私が考える仏教について簡単にレジュメを書いてみました。明日の仏教懇話会で、これを見ながら解説する予定です。

[私とは何かと探求する]

  一切衆生でも、世界でも地球でもなく 私が中心課題

  私は心と体に分かれる 身体は今生の借り物 心は輪廻する 

  私は業の蓄積 生まれたときから皆違う、顔も体も心も環境も 平等ではない

  みんな違う人生 だからこそ一人一人生きる意味があり価値がある
    
  なぜ輪廻するのか →すべてのものに原因あり、結果する

  因と縁と果の連鎖の中に生きている

  悟らないかぎり無知だから生きたいという執着がある

  無知だから外から入る刺激に反応して欲や怒りを生じ、苦しみ悩み迷う

  苦しみを作り出しているのが私 自業自得 因果応報

  現実をありのままに認識する

  その愚かしい私をそのままに知り、よりよくありたいと励むための教え=仏教


[今の瞬間に生きる]

  生きている実感=五官と心で知る→好き嫌いで欲や嫌悪を感じる

  刺激に反応し思い考える

  感覚から自分自分という思いが生まれ、

  自分・自分のもの・自分の考えに執着する

  今に生きていない、常に過去や未来に心遊ばせて考えて考えて思いまどう

  それはこの世はすべてが無常だから自分も無常

  →だから常に不完全不満足不安空しさがともなう

  無常だから生老病死 

  愛別離苦 怨憎会苦 求不得苦 五陰盛苦の中に生きている
  
  無我だから思い通りにならない

  それなのに苦しみもがき、心を暗くする、心を病む →考えない

  妄想し考える心の癖を止めて今の瞬間に生きる 訪れた幸せを十全に味わう

  今さえよければいいという刹那主義ではなく、
 
  充実した今という瞬間の積み重ねとして人生を生きる
 
  自分の一つ一つの行い、呼吸、思い、見るもの聞くもの感覚や周囲に気づく 

  考えず、判断せず、評価しない 


[みなとともに幸せを願う]

  私たちは一人で生きていけない

  →それと同じように、すべての物事は相互に関係し依存している

  自分だけよくあることはあり得ない

  →すべてのものたちを友として幸せを願い助けてあげる 

  亡己利他ではない、まずは私、親しい人、生きとし生けるものの幸せを願う

  慈・悲・喜・捨-

  すべての存在に優しく、助け励まし、ともに喜び、分け隔て無い心

  善行功徳を積む=功徳がよい来世を私たちにもたらす 

  怒り・嫉妬・ケチ・後悔に要注意

<頭で分かるだけではダメ、体験が大事 心清める行いが大切>

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コメント (3)
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