住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
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浄瑠璃寺と岩船寺-3

2008年03月12日 07時49分07秒 | 朝日新聞愛読者企画バスツアー「日本の古寺めぐりシリーズ」でのお話
浄瑠璃寺本堂は九体阿弥陀堂とも言う。藤原時代の建立。現在は瓦葺き、もとは檜皮葺だった、国宝。九体阿弥陀仏をまつるため細長いお堂で、堂内は極楽浄土図など一切無く、簡素そのもの。

過去に三十ほどの九体堂があったと言われるが、現存する唯一のもの。寄せ棟造り、正面十一間、側面四間。一体一体の如来が堂前に板扉を持ち、柱間一間に一体が配置されている。

板扉を開けると池にお姿を写す構造になっている。太陽の沈む西方浄土へ迎えてくれる阿弥陀仏を西に向って拝めるよう東向きにし、前に浄土の池をおき、その対岸から文字通り彼岸に来迎仏を拝ませる形にしたものである。

阿弥陀如来像九体は藤原時代の作で、すべて国宝。九品往生といい、人間の努力や心がけなど、いろいろな条件で下品下生からはじまり、下の中、下の上、・・・上品上生まで九つの往生の段階があるという考えから、九つの如来をまつった。

中尊は丈六像、丈六仏、立ち上がると一丈六尺ある仏像ということ、像高221cm。来迎印(上品下生印)。宇治の平等院本尊の作りに衣紋などがよく似ており、なで肩で優しいふっくらとした顔立ち。桧材の寄木造り。漆箔。

他の八体は半丈六像、像高140cm。すべて弥陀の定印(上品上生印)を結んでいる。穏やかな表情だが、一体一体作風が異なる。本来なら、下品下生から上品上生までの九種類の印相を持った阿弥陀像を安置すべきだが、おそらくここは平安貴族のための寺であって、上品な人々のための祈願所であったろう。

中尊が上品下生の来迎印なのは、そこから五色の糸が往生しようという人の手に握らされたからであり、中尊の手からはそれぞれ左右の四体ずつの阿弥陀像の手に糸が結ばれていたであろう。来迎印の阿弥陀様から上品上生の阿弥陀様に受け継がれ最高の浄土に往生することを願う設定になっていると言えよう。

堂内に四天王像四体、藤原時代の作で、平安時代屈指の名作と言われる。国宝。四天王は元来世界の四方を守り、外から悪が入らぬよう、内の善なるものは広がるようにという力の神。現在、多門天が京都、広目天が東京の国立博物館に収蔵される。堂内には持国天と増長天がまつられている。
 
また日本の吉祥天の代表格とも言われる吉祥天女像(厨子入り)が中尊の左に祀られている。鎌倉時代の作、90cm重文。豊な暮らしと平和を授ける幸福の女神吉祥天。南都の寺では正月に五穀豊穣、天下泰平の祈願の法要をするのが伝統的で吉祥天の像は多い。

この寺の像は建暦2年にこの本堂へまつられたことだけが記録に残されている。宝冠や衣体、瓔珞などの彩色が施された装飾も美しい。厨子の周囲には梵天・帝釈天・四天王・弁財天と四神といった天部の諸像が見事な画像であらわされている。像内には摺仏(しゅうぶつ)と言う和紙に版木で摺った吉祥天が四枚一組十九体ずつ書かれた物が納められていた。

また中尊右には、子安地蔵菩薩像、藤原時代の作、定朝様式、157.6cm重文。片手に如意宝珠を持ち、一方は与願の印を示す。木造で胡粉地に彩色された美しい和様像。腹部に紐の結び目があるので出産を守護するとして子安地蔵と言うが、袈裟の下につける安陀会と言う腰巻きの紐であろう。 

本堂左奥には、不動明王三尊像(重文)99.5cm鎌倉時代。元護摩堂の本尊であるこの三尊像は、力強い表情、鋭い衣紋の彫り、玉眼の光、見事な迦楼羅光景など鎌倉時代の特徴をよく顕した秀像である。向って右にやさしいこんがら童子、左に智恵の杖をもった力強いせいたか童子を従えている。

山門右側に建つ潅頂堂のご本尊は大日如来。鎌倉時代、運慶一派の作と言われる。また役行者神変大菩薩三尊を祀る。宝地の中の弁天祠には、吉野天河弁財天から勧請したとする八臂の弁天像が祀られていた。現在は灌頂堂に安置する。

他に、延命地蔵菩薩像(重文)藤原時代作。馬頭観音像(重文)鎌倉時代。石灯籠二基(重文)南北朝時代。本堂と三重塔前、池の両岸にある。また、浄瑠璃寺庭園(境内)は特別名勝及史跡。藤原時代。浄瑠璃寺流記事(重文)鎌倉時代。浄瑠璃寺の根本史資料文書。

岩船寺、浄瑠璃寺ともに、現在真言律宗に属しているが、それは明治からで、元々は興福寺末であった。興福寺は藤原氏の氏寺で、法相宗の大本山だが、明治維新の折、神仏分離令が出されると、何のもめ事もなく皆神官になり、五重塔も売りに出され、廃寺寸前の状況になった。

そのとき、山城の多くの寺も廃寺となったが、鎌倉中期から関係のあった奈良西大寺を本山とする真言律宗としてこの二寺は、何とか地元当尾の人々とともに、法統を守ったのであった。古人の現世から来世へと素直な願いを形にしたここだけの信仰舞台。私にとっては、三十年ぶりの参詣となる。

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コメント (2)
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