住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
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浄瑠璃寺と岩船寺-2

2008年03月11日 15時06分28秒 | 朝日新聞愛読者企画バスツアー「日本の古寺めぐりシリーズ」でのお話
浄瑠璃寺は、738年(天平11年)行基によって開かれたといわれているが、実際には、浄瑠璃寺流記事(るきのこと)にあるように、1047年(永承二年)阿知山大夫重頼というこの地の豪族が檀那となり、義明上人が、現在の三重塔の薬師如来を本尊に、一日で屋根を葺けたというほどの小さな堂を建てたのが始まり。当初は西小田原寺と言った。因みに岩船寺は東小田原寺と言われた。

当時平安時代後期には、比叡山にも大原の里に別所が出来たように、奈良京に挟まれたこの地には、多くの大寺から逃れた修行者が住み着いていた。おそらく当時流行した浄土教の信仰者もいたであろう。そして、開創から60年後の、1107年(嘉承二年)本尊の薬師如来像などを西堂へ移したといわれる。

そして、1157年(保元二年)にも、本堂を西岸の辺へ移したとあり、1166年(永万二年)興福寺の文書に「西小田原九体阿弥陀堂」と書かれているので、これが現在の本堂だとされる。興福寺権別当をつとめた興福寺一条院の門跡恵信(えしん・藤原忠道の子)は、浄瑠璃寺を一条院の御祈所とし、坊舎などをまとめ、境内中央に湧水をたたえる宝地を作り、庭園を整備していった。

1178年(治承二年)京都の一条大宮から現在の位置に三重塔を移し、初層に元の本尊の薬師如来をまつり、大きな池を挟んで九体堂と三重塔が向かい合う伽藍構成が完成した。昭和の発掘調査で、当時は、九体堂ギリギリまで池が迫りお堂を回り込むように池が入り組んでいたと判明。これは、宇治平等院のように池の手前の此岸から彼岸を拝む、欣求浄土の思想を表現したものだという。

ここで、末法思想について述べておこう。平安時代中期には、末法思想が浸透し、新しい教えを必要としていた。釈迦入滅千年は正法の世で、教・行・証が揃っているが、次の千年は、教と行のみで像法の世といい、次の一万年は、教のみの末法の世と言われた。つまり仏滅二千年後に末法に入るとされ、その末法に入る年が、日本では永承7年、1052年とされた。

それから換算すると仏滅は、紀元前949年となる。実際には、紀元前四、五世紀なのだから、これは当時中国での仏滅年代を老子よりも遡ることにするために仏滅の年が故意に捏造されたためだと言われる。ともかくも、末法という言葉はインドの経典にはなく、正法、像法も正しい教えとそれに似たものを意味する言葉であって、時代を意味する概念ではなかったのであるが。

しかし当時の人々は天災飢饉が続き、僧兵の時代を迎えると、正に末法の世を予感させた。藤原道長は、太政大臣を二ヶ月で辞すと、壮大な法成寺を建て、臨終間際には九体の丈六の阿弥陀像を祀る無量寿院で、九体像の前に北枕に臥し、それぞれのご像の手に五色の糸を結びそれを握って、僧たちの念仏の中で生涯を閉じた。道長の子頼道が宇治平等院を建てるとその数年後には法成寺は一夜で焼失した。

そうした平安貴族の死への畏れと極楽往生への願いという切実な思いが、900年という時間を超えて、この浄瑠璃寺の九体堂にも充ち満ちているのである。住職佐伯快勝師によれば、三重の塔の薬師如来の白毫と九体堂の中尊の白毫を結ぶとちょうど東西の直線で結ばれる、つまり彼岸中日には、薬師如来の真後ろから日が昇り、阿弥陀如来の真後ろに日が沈むという。

これは、三重の塔を拝み、過去から現世に私たちを導いてくれた薬師如来を拝み、礼拝し、そして、振り返って此岸から、死後来世で極楽に往生することを願い、彼岸に向かってぬかずいて、池に映る弥陀浄土を拝する構造なのだと言えよう。人間の願いを一度に叶える何とも絶妙な、ここ浄瑠璃寺だけの、まさに特別なる伽藍配置なのである。

山門に向かう参道には、アセビやはぎ、それにモクレンが植えられており、堀辰雄が『浄瑠璃寺の春』に「馬酔木よりも低いくらいの門」と書いたように、小さな門で、創建時には南門があり、これは副門であった。入ると宝地が視界に飛び込んでくる。三方が小高い丘に囲まれ、右手に本堂・九体阿弥陀堂、左には三重の塔がある。

はじめに三重塔に参る。浄瑠璃寺三重塔(国宝)檜皮葺朱塗り16.8m。平安時代中期後期にあたる藤原時代に造営されたもので、京都一条大宮にあった寺院から移されてきた。相輪が塔高の三分の1の時代に三割七分あり、長く見える。四天柱(してんばしら)が無く、心柱が初層の天井上に設けられており、初層内は何も遮るものが無く、薬師如来が祀られている。

塔には元々仏舎利が納められたが、後代には、仏像を納める仏像舎利を祀る様式になった。扉の釈迦八相、四隅の十六羅漢図など、装飾文様と共に壁面に描かれている。薬師如来は、重文。大きな白毫があり、厳しさを感じさせる威厳ある表情。身体の部分には金箔が押され、衣紋には赤い彩色が残る。秘仏。現世の祈願をして後ろを振り返り、宝地の向こうの九体の弥陀を拝す。

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