住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
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浄瑠璃寺と岩船寺ー1

2008年03月10日 15時40分59秒 | 朝日新聞愛読者企画バスツアー「日本の古寺めぐりシリーズ」でのお話
朝日新聞愛読者企画「備後國分寺住職とゆく日本の古寺巡りシリーズ」第4回として、この3月14日と26日に京都府山城の浄瑠璃寺と岩船寺を参詣する。京都と奈良の県境にある山城の丘陵地。もともと山背と書いていたが、これは奈良の都から見て山の背後にあるからこの名称がつけられた。しかし、都が長岡京に移ると、山の手前ということになり、山城と書くようになった。

この一角に当尾(とうの)という鄙びた風景が残る里がある。平安時代にはこのあたりは沢山の塔が立ち並び、昔は塔尾と書いたらしい。百塔参りが流行り、応仁の乱などでみな焼失したが、石仏だけは沢山今でも残されている。

鎌倉時代中期から室町初期に東大寺大仏殿再興した人々が、中には宋の国から来た名工もいたようだが、花崗岩の岩盤のあるこの地に来て、磨崖仏や板碑、石塔を造った。弥勒菩薩や阿弥陀三尊、地蔵尊など、35カ所に90もの石造物が散在するという。

周りにはアジサイや彼岸花などが咲き緩やかな丘を上り下りする中に石像が佇む。それら石像がこれからお参りする岩船寺から浄瑠璃寺へと1.5キロの道のりを案内してくれるかのようにおられるのである。

最初に訪ねる岩船寺は、浄瑠璃寺の北東1.2キロのアジサイで有名なお寺であり、もとは浄瑠璃寺よりも先に出来た大寺であった。室町様式の三重の塔がひときわ美しいお寺としても有名。729年(天平元年)聖武天皇の勅願で行基が建立したのが始まりといわれ、806年(大同元年)智泉大徳が報恩院、灌頂堂を建立した。

智泉大徳は、弘法大師の姉の子で、十大弟子の一人。嵯峨天皇の后・橘皇后が皇子誕生を智泉に祈願させるために報恩院を建てたという。智泉は図像を書写するのに長けていたといい、高野山東南院を建て住んだが、弘法大師に先立って亡くなった。壇上伽藍内に廟がある。

813年(弘仁四年)嵯峨天皇が皇子誕生を感謝し、堂塔伽藍が整備され岩船寺と名を改めた。最盛期には39の坊舎をもつ大寺院であったが、1221年(承久三年)承久の変により大半が焼失。承久の変とは、源実朝暗殺後源氏の血統断絶で北条氏による独裁になろうというとき、鎌倉幕府倒幕を目論む上皇三人が企てた反乱で、敗北した後鳥羽上皇らは隠岐などに流罪になった。

それ以後、再興された堂塔も再度の兵火により次第に衰え、現在は本堂と三重の塔のみが残る。山門の左前に石風呂が置かれている。39坊の僧が身を清め岩船寺に詣でたと言い伝えられる。だから岩船寺とも言われるが、寺名の由来は経典からだという。

小さな趣のある山門を入るとすぐ目に飛び込んでくるのが緑の木立に囲まれて建つ三重塔で、三重塔は834~847(承和年間)嵯峨天皇の子・仁明天皇が智泉大徳を偲んで建立された。現在の三重塔は、「嘉吉二年(1442)五月二十日」の銘があり、総高17.5m。軒下の部材に彫られた渦模様には、初重二重三重と変化があり、室町時代の特色が出ている。内部には、須弥壇と来迎壁画がある。

明治32年に特別建造物として保護され、その後重要文化財の指定を受けた。昭和18年に解体修理が行われて以来風雪に耐え、屋根瓦の波打ち傷みが激しく、外部的にも緊急に保全修理が必要となり、工期3年3ヶ月余りの工期で、文化財保存修理技術により外部、塔内部の壁画の調査・復原等、平成の大修理が行われた。
 
本堂は江戸時代のものが老朽化し、1988年(昭和六十三年)に、再建され、現在に至っている。こぢんまりしたお堂だが、重厚感のある威厳あふれる建物。東向き。本尊阿弥陀如来座像は、像高284.5cm。正面からは肩幅が広くどっしりしているが、奥行きは浅く、胸や腹もなだらかで、優雅で品格がある。像内の墨書き銘により、946年(天慶九年)の作とされる。印相は上品上生印(平安時代)重要文化財。ケヤキの一木造。

本尊を囲むように四天王立像があり、持国天(東)、増長天(南)、広目天(西)、多聞天(北)(鎌倉時代)不指定文化財。本堂右奥には、普賢菩薩騎象像があり、法華経に説く、6本の牙を持つ白象に乗る普賢菩薩像で、法華経信仰者を守護すると言われる。平安時代の作で、像高38.9.cm。全体ではその倍くらいの高さ。平安時代後期の目鼻立ちが優しくほっそりした体つきの繊細なご像。重要文化財

また、この普賢菩薩象の厨子には、厨子内部に板絵・法華曼陀羅図が描かれ、永正十六年(1519)12月、遍照院覚忍房を本願とし、大工国定長盛・藤原弥次郎が修理した銘あり、作者智泉大徳という。絹地に截金(きりかね)、彩色が施されており、長く秘仏であったために当時のまま保存された貴重なもの。

境内には、十三重石塔があり、鎌倉時代後期の作で、高さ6.3m重要文化財。軸石のくぼみの中から水晶の五輪舎利塔がみつかっている。智泉大徳の墓とも伝承される。このほか、石室不動明王立像(鎌倉時代)重要文化財。

三重の塔隅垂木をささえる木彫に天邪鬼(鎌倉時代~室町時代)重要文化財。五輪塔(鎌倉時代)重要文化財。十一面観音像(鎌倉時代)十二神将像(室町時代)釈迦如来像(室町時代)薬師如来像(室町時代)不動明王像(室町時代)など沢山の仏像を有す。

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