第三講「インド仏教の衰亡と宗教興亡二」では、インド仏教衰亡の原因として、①イスラム軍によってビハールやベンガルの巨大僧院が破壊されたため。②祭祀を行わなかったなどにより自ら衰退していったため。③ヒンドゥー教化して吸収されたため。④信者に義務として教団を支えることを教義としなかったため。などこれら伝統的なインドにおける仏教衰亡説に加え、インドの特殊事情が影響していると保坂氏は指摘する。
多数派で土着信仰の保守派ヒンドゥー教に対し、仏教は少数派で革新的合理的普遍主義なため、両者には、常にインド社会では両極端の対決があった。だから、イスラムの侵攻というときに、仏教徒は、イスラム教という宗教の実態がわからずも、ヒンドゥー教との社会的対立、宗教的対立が引き金となり、仏教の不殺生の戒律を重視して、イスラム軍を受け入れた。しかし、結果的にそのことが仏教の衰亡を招いたのだと言われる。
第二講で述べたようなインダス河流域でのイスラム化。また東ベンガル地方でも今日イスラム人口が多く、最後まで仏教徒の多かったこうした地域で、現在イスラム教徒が異常に多い。そこに、仏教徒が集団でイスラム教に改宗していった実態が浮かび上がる。東ベンガルでは、鍛冶屋、鋳物工など、仏像を造るイスラム教徒が最近までいたという。かつて仏教徒であった時代の職業がイスラム教徒になっても引き継がれ、存続していたのではないかと考えられているという。
ところで仏教は、誰でも受け入れる教えであり、普遍主義であるけれども、ヒンドゥー教も、イスラム教も、キリスト教も、神道も、それはナショナリズムに結びつく特殊な人々の教えに過ぎない。だからこそ、仏教はインドで滅びる運命にあったわけだけれども、これからの時代には仏教の普遍主義こそ人類に必要な教えではないかと、保坂氏は言われる。
だからこそ明治時代には仏教ではダメで、列強に対抗し植民地にならないために、またヨーロッパの文明を受け入れやすくする意味において神道という核が必要であったのだと言われる。
第四講「仏教の持つ可能性」では、仏教が滅びなかったスリランカやシンガポールなどの例を検証し、政治的な指導ないし民衆の文化の根底に仏教が浸透することによって存続してきた。また現代インドでのネオブッディストたちの改宗についても触れて、インドで仏教は、カースト外の人たちに注目されているかの如く思われている。
が、IT産業に代表されるインドの産業発展は地球規模での行動を求められている現代にあって、一地域信仰のヒンドゥー教では世界に受け入れられないし生活しにくい。そこで知識階級である彼らも仏教に注目しているのだという。
日本は、明治以降廃仏毀釈を経てなお、未だに嫌仏政策の中にある。戦後まで神社はたくさん出来るけれども、寺院はつくれなかった。今日でも、初等教育にお坊さんの話は全くない、つまり仏教の千二百年に及ぶ長い歴史をほとんど評価していない教育が続けられていると指摘する。
明治の近代化の御旗のもとに、否定されてきた神仏習合の精神的、文化的な伝統をないがしろにしてきて、未だにそれを顧みることもない。寺檀制度や戒名など、悪者扱いされるものも、実は、民衆も死後の世界に安寧を勝ち取ることが出来る一つの世界観を共有できるシステムとしてあったという。だから良い悪いで、なくしてよいものではない。
それまで死者は祟り神として怖れられた。そこで仏教が登場し死の穢れなど無いと、人は浄化することで悟りに至ると説いてきた。仏式で戒名をつけ葬儀をするというのは、そうした千年の仏教の歴史のもとに室町から江戸時代のころ形成されたもので、それは人々に安心感と確証を与えるものとして機能してきた。
近年多くの凶悪事件が起こり精神的にとても不安定な社会が現出した。日本人が今まで作り上げてきた精神世界、言葉にならない文化みたいなものがかなり今ほころびている。それに歯止めをかけるとしたら、私たちの伝統に対する再評価、再認識をすること以外にない。いま、千数百年の日本人の血肉になっていた仏教を評価し直す時期に来ている。それには嫌仏敬神の視点ではなく、歴史を謙虚に見ていく必要がある。
かつて多くの天皇が仏教に帰依し、仏教的な政治理論みたいなものでまつりごとを行ってこられた。そうした伝統が脈々と続いてきたからこそ天皇制が民衆から支援された。政治、文化、様々な分野での仏教との関わりを今一度再評価することが、現在直面するいろいろな問題に解決策を見出すヒントになる。仏教はもっといろいろな面で発言して、存在意義を高めていくべきであると述べられ、保坂氏は講演を締めくくられている。
まったく同感である。明治憲法の下での国教神道化、神仏分離令であった。そこで、それまでの日本人の信仰は分断された。戦後新憲法下の法制度の下で、改められるべきものがそのままに放置され、まさに心よりも実利、なにものをも投げ捨てて経済的物質的繁栄のもとに突っ走ってきた戦後があった。
それはそれで必要な時代であったろう。しかし、その間に私たちは積み重ねてきたアイデンティティをすっかり忘れ去ってしまった。長い歴史によって培われ私たち一人一人に刻まれた仏教的素養の復活に、様々な問題が噴出している今こそ、国民挙げて取り組むことが必要なのであると思う。
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多数派で土着信仰の保守派ヒンドゥー教に対し、仏教は少数派で革新的合理的普遍主義なため、両者には、常にインド社会では両極端の対決があった。だから、イスラムの侵攻というときに、仏教徒は、イスラム教という宗教の実態がわからずも、ヒンドゥー教との社会的対立、宗教的対立が引き金となり、仏教の不殺生の戒律を重視して、イスラム軍を受け入れた。しかし、結果的にそのことが仏教の衰亡を招いたのだと言われる。
第二講で述べたようなインダス河流域でのイスラム化。また東ベンガル地方でも今日イスラム人口が多く、最後まで仏教徒の多かったこうした地域で、現在イスラム教徒が異常に多い。そこに、仏教徒が集団でイスラム教に改宗していった実態が浮かび上がる。東ベンガルでは、鍛冶屋、鋳物工など、仏像を造るイスラム教徒が最近までいたという。かつて仏教徒であった時代の職業がイスラム教徒になっても引き継がれ、存続していたのではないかと考えられているという。
ところで仏教は、誰でも受け入れる教えであり、普遍主義であるけれども、ヒンドゥー教も、イスラム教も、キリスト教も、神道も、それはナショナリズムに結びつく特殊な人々の教えに過ぎない。だからこそ、仏教はインドで滅びる運命にあったわけだけれども、これからの時代には仏教の普遍主義こそ人類に必要な教えではないかと、保坂氏は言われる。
だからこそ明治時代には仏教ではダメで、列強に対抗し植民地にならないために、またヨーロッパの文明を受け入れやすくする意味において神道という核が必要であったのだと言われる。
第四講「仏教の持つ可能性」では、仏教が滅びなかったスリランカやシンガポールなどの例を検証し、政治的な指導ないし民衆の文化の根底に仏教が浸透することによって存続してきた。また現代インドでのネオブッディストたちの改宗についても触れて、インドで仏教は、カースト外の人たちに注目されているかの如く思われている。
が、IT産業に代表されるインドの産業発展は地球規模での行動を求められている現代にあって、一地域信仰のヒンドゥー教では世界に受け入れられないし生活しにくい。そこで知識階級である彼らも仏教に注目しているのだという。
日本は、明治以降廃仏毀釈を経てなお、未だに嫌仏政策の中にある。戦後まで神社はたくさん出来るけれども、寺院はつくれなかった。今日でも、初等教育にお坊さんの話は全くない、つまり仏教の千二百年に及ぶ長い歴史をほとんど評価していない教育が続けられていると指摘する。
明治の近代化の御旗のもとに、否定されてきた神仏習合の精神的、文化的な伝統をないがしろにしてきて、未だにそれを顧みることもない。寺檀制度や戒名など、悪者扱いされるものも、実は、民衆も死後の世界に安寧を勝ち取ることが出来る一つの世界観を共有できるシステムとしてあったという。だから良い悪いで、なくしてよいものではない。
それまで死者は祟り神として怖れられた。そこで仏教が登場し死の穢れなど無いと、人は浄化することで悟りに至ると説いてきた。仏式で戒名をつけ葬儀をするというのは、そうした千年の仏教の歴史のもとに室町から江戸時代のころ形成されたもので、それは人々に安心感と確証を与えるものとして機能してきた。
近年多くの凶悪事件が起こり精神的にとても不安定な社会が現出した。日本人が今まで作り上げてきた精神世界、言葉にならない文化みたいなものがかなり今ほころびている。それに歯止めをかけるとしたら、私たちの伝統に対する再評価、再認識をすること以外にない。いま、千数百年の日本人の血肉になっていた仏教を評価し直す時期に来ている。それには嫌仏敬神の視点ではなく、歴史を謙虚に見ていく必要がある。
かつて多くの天皇が仏教に帰依し、仏教的な政治理論みたいなものでまつりごとを行ってこられた。そうした伝統が脈々と続いてきたからこそ天皇制が民衆から支援された。政治、文化、様々な分野での仏教との関わりを今一度再評価することが、現在直面するいろいろな問題に解決策を見出すヒントになる。仏教はもっといろいろな面で発言して、存在意義を高めていくべきであると述べられ、保坂氏は講演を締めくくられている。
まったく同感である。明治憲法の下での国教神道化、神仏分離令であった。そこで、それまでの日本人の信仰は分断された。戦後新憲法下の法制度の下で、改められるべきものがそのままに放置され、まさに心よりも実利、なにものをも投げ捨てて経済的物質的繁栄のもとに突っ走ってきた戦後があった。
それはそれで必要な時代であったろう。しかし、その間に私たちは積み重ねてきたアイデンティティをすっかり忘れ去ってしまった。長い歴史によって培われ私たち一人一人に刻まれた仏教的素養の復活に、様々な問題が噴出している今こそ、国民挙げて取り組むことが必要なのであると思う。
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