住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
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四国遍路行記34

2014年05月26日 11時14分55秒 | 四国歩き遍路行記
本山寺の瓦置き場の寝袋の中で目を覚ました。六時少し前だった。手水鉢の水をいただいて洗顔。戻って寝袋を丸めて紐で止め頭陀袋に結ぶ。そして本堂へ朝のお勤めに参上した。

本山寺は、大同二年(八〇七)に平城天皇の勅により、弘法大師が井の内村から伐採した用材で一夜のうちに七間四方の堂宇を建立したのが始まりといわれる。そのとき本尊として馬頭観世音菩薩を刻んで安置したという。観音様は柔和なお顔と決まっているが、馬頭観音だけは頭に馬を乗せた忿怒相に変化していて、明王のような恐ろしい形相をしている。人間の煩悩を取り除き諸悪を断じてくれるのだという。本尊と同時に刻んだ 阿弥陀、薬師の両如来ともに国宝に指定されている。

本堂も鎌倉時代建立の寄せ棟造りの本瓦葺きで、国宝。二十あまりの坊があるほどに栄えたが、戦国時代に本陣にしようと長宗我部氏が入り、それを押しとどめようとした住職は斬られるという歴史があった。見事な五重塔は明治末期の再建である。

本堂、大師堂と拝んでいたら、後ろにYさんが既に来られていた。早速車に乗り込み、次なる七十一番弥谷寺に向かう。十一キロほどの距離。下の駐車場に車を止めて歩き出す。

弥谷寺は石段のお寺。駐車場から二百六十二段もの石段を登ると大きな六メートルもある金剛拳菩薩がお目見えした。金剛拳菩薩は金剛界四仏の十六ある供養尊の最後で、行者の修行の完成を意味する姿。胸の前で両手の拳を上下に重ねる印は悟りの境地を世間に結びつけることを意味する。

そこからさらに百八段登ると大師堂に、そしてさらに百七十段登って本堂へ。途中、薄暗い岩壁を横に見ながら登っていくと、大師の修行場だったという弥陀三尊の磨崖仏龕や、沢山の地蔵尊が彫られていたりと、ゾクゾクするようなエキゾチックな雰囲気に満ちていた。

弥谷寺は、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創した時には山頂から瀬戸内海を挟んで八国が望めたので八国寺と称したとされる。が、大同二年に弘法大師が修行していると五本の剣が降ってきて蔵王権現が示現したので山号を五剣山、また一帯に谷が多いことから寺号も弥谷寺と改めたという。

岩穴に堂を取り付けたような本堂の前で本尊千手観音に理趣経をお供えし、洞穴の中のような大師堂では薄暗いお堂の中で心経を唱えた。Yさんもさすがに何か感じられるのか怖そうに私の後ろに貼り付いて手を合わしていた。大師堂の裏側には弘法大師が幼少の頃勉学に励んだという獅子岩窟もあり、祖霊の集まる所といわれる弥谷寺独特の雰囲気を醸し出していた。

次なる札所七十二番曼荼羅寺までは四キロ弱、車なので瞬く間に到着した。

曼荼羅寺は、もともと世坂寺といい弘法大師の生まれた佐伯氏の氏寺で、唐から帰国した弘法大師は、青龍寺を模した伽藍を立て、大日如来を刻んで本尊とした。唐から持ち帰った金剛界と胎蔵界の曼荼羅も安置し、寺号も曼荼羅寺と改めた。永禄三年(一五六〇)阿波の三好実休の兵火にかかり焼失したあと再興されたのが今の伽藍。境内一杯に広がった老松は弘法大師お手植えと伝わるが、残念ながらこの見事な松は平成十四年に枯れてしまった。

待っていて下さるYさんに気遣いつつ、早めに理趣経と心経を唱え、一キロも離れていない次なる札所へ。

七十三番出釈迦寺は、山号を我拝師山という。が、実は曼荼羅寺も同じ山号で、ともに我拝師山に連なる伽藍であったのであろう。

この出釈迦寺から南に続く山はもともと倭斯濃山(わしのやま)といったが、弘法大師が幼少の頃、山頂で一切衆生を救わんと誓願して「我が願い叶うならお釈迦様どうか現れ給え、叶わぬなら我が身を捨てて諸仏に供養し奉る」と崖から身を投げると、紫雲たなびきお釈迦様と天女がすくい取って下さったという。そこで、この山を我拝師山と名付け、釈迦如来像を刻んで本尊とし、それが出釈迦寺の基となったのであろう。

我拝師山への道の右側に本坊、大師堂、本堂と続いている。このとき、読経を済ませ、一人我拝師山に登山した。途中水の湧くところで喉を潤し、置いてあった杖を借り急斜面を登る。大きな通夜堂があって、その脇から弘法大師が子供の頃身を投げたという捨身ヶ嶽禅定と言われる崖から下を覗いた。足下は大きな岩がごろごろしている。早々に引き返し山道を下った。

Yさんは車の中で待っていて下さった。今日の夕方までご一緒すると言われていたので仕方なくお付き合いしているようでもあった。七十四番甲山寺はいよいよ善通寺のお膝元。平地に戻り田んぼの中に見える低い山、標高八七メートルという甲山(かぶとやま)を目指す。

このあたりは弘法大師のふるさとで、善通寺と曼荼羅寺の間に寺院を建立しようと霊地を探していたとき、甲山の麓で一人の老翁に出会い、この地を勧められた。大師は早速、毘沙門天像を刻み、山の岩窟に安置した。これが甲山寺の開基となった。

落ち着いた雰囲気の本堂そして大師堂をお参りする。弘法大師作と伝える薬師如来が本尊様。大師堂の近くには大師が刻んだと言われる毘沙門天を祀る岩窟もあった。

お腹を空かしたYさんは既に車の中。乗り込むとすぐに善通寺目指して走り出した。善通寺の駐車場近くのうどん屋さんで讃岐うどんをごちそうになった。既に二時を回っている。遅い昼食をご一緒して、二日間の同行に感謝しお別れした。

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