住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
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四国遍路行記36

2015年02月11日 14時43分22秒 | 四国歩き遍路行記
道照寺を後にして、車に乗り込み、第七十八番郷照寺へ。県道二十一号線を北に進む。歩けば二時間もかかるところを二十分ほどで送り届けて下さった。尼僧さんはそのまま善通寺にお帰りになり、一人参道から山門をくぐった。

郷照寺は神亀二年、この地を訪れた行基が55センチほどの阿弥陀如来像を彫造して本尊として道場寺と称した。その後、大同二年(807)に弘法大師が訪れ、仏法有縁の地であると感得し、自らの像を彫造して厄除けの誓願をされた。この木造の大師像は「厄除うたづ大師」と呼ばれ地元の人々から崇敬されているという。

京都・醍醐寺の開山として知られる理源大師(聖宝・832〜909)がこの寺に籠山し仁寿年間(851〜54)修行した。また、浄土教の理論的基礎を築いた恵心僧都(源信・942〜1017)が霊告を受けて釈迦如来の絵を奉納し、釈迦堂を建立したとされている。

さらに、仁治四年(1243)には『南海流浪記』の著者である高野山の道範阿闇梨が流罪となったとき、この寺を寓居とした。道範阿闍梨は、堺の船尾で生まれ、17歳で出家。高野山正智院に住み、金剛峯寺の執行として高野山の中心人物となった。新義派の祖である覚鑁上人が根来へ高野山から下りて百年あまり後、根来寺と再度不和になり根来伝法院を高野山僧徒が焼いたことの沙汰として讃岐へ流され、六年間滞在した。

また、時宗の開祖となる一遍上人(1239〜89)が正応元年(1288)に3ヵ月ほど逗留して踊り念仏の道場を開き、以来この寺には真言・念仏二つの法門が伝わることになる。後に郷照寺と改めたのは寛文四年(1664)高松初代藩主・松平頼重公のときのことで、寺名とともに時宗に改めている。重層の本堂に詣り、大正時代に再建さけたという大師堂で心経を唱えた。

山門を出てもお迎えはない。とぼとぼ車で来た道を東に歩く。大束川を渡り、JR予讃線の踏切を越えて、国道三十三号線をさらに東に進む。今では瀬戸中央自動車道の高架になっているあたりはその頃工事中で、そこからさらに一時間ほど歩くと、道沿い左に、第七十九番天皇寺の赤い鳥居が見えてきた。

天皇寺は高照院として銘記されてきた。この地は元々日本武尊が悪魚退治にやってきて、その悪魚の毒で八十八の兵士とともに倒れてしまったとき、横潮明神が泉の水を持ってきて飲ませたところみな回復したと言われ、以来その水は八十場の泉と呼ばれてきた。弘法大師が巡錫の折にも、その泉のあたりで霊感を感じ、近くの霊木で十一面観音を刻んで、堂宇を建立して安置、摩尼珠院と号した。脇侍として阿弥陀如来、愛染明王の三尊像を彫造。この本尊の霊験著しく、境内は僧坊を二十余宇も構えるほどであったという。

保元元年(1156)7月、皇位継承に不満を持つ崇徳上皇が摂関家を巻き込み、源氏平氏ともに敵味方となって戦った保元の乱に敗れた上皇が流された先がこの地であった。上皇は阿弥陀如来への尊崇が深く守護仏とされていたが、長寛2年(1164)御寿46年で崩御。二条天皇は、上皇の霊を鎮めるため崇徳天皇社を造営し、また、後嵯峨天皇の宣旨により永世別当職に任じられ、現在の地に移転した。明治新政府の神仏分離令により摩尼珠院は廃寺となったが、天皇社は白峰宮となって摩尼珠院主が落飾して初代神官となった。明治20年、筆頭末寺の高照院が当地に移り、金華山高照院天皇寺として今日にいたっているというまことに複雑な縁起をもつお寺である。

鳥居をくぐり、正面に白峰社があり、その左手に江戸時代再建という本堂と大師堂がある。ゆっくりと理趣経、心経をそれぞれにお唱えして、ベンチでお弁当を開いた。善通寺の宿坊のおばちゃんが作って下さったお弁当。釈迦堂の尼僧さんが一声添えて下ったものだろう。ありがたくいただく。

そして、重たいお腹を抱えるように歩き出す。次なる第八十番國分寺も、六キロほどの距離である。予讃線が見えたり隠れたりしながら、予讃線国分駅からすぐ先に國分寺が見えてきた。山門には見事な松が垂れている。境内全域が讃岐國分寺跡として特別史跡に指定されているという。奈良時代の建物の礎石が並ぶ中、正面の本堂へ進む。本尊千手観音様のお姿を偲び経を唱え、納経所の横から多宝塔形式の珍しい大師堂を拝んだ。


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