住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

『神さまがくれたひとすじの道』をいただいて

2015年02月11日 12時26分37秒 | 仏教書探訪


一冊の本が送られてきた。いんやくりお君のつぶやいた詩をお母さんが綴って解説した本である。りお君の本は二冊目。三年ほど前に、『自分をえらんで生まれてきたよ』が出版され、生まれる前のこと、なんで生まれてきたのか、どのように生まれてきたのかを紡ぎ出した本として、好評を博した。この度の新刊は、四歳から十三歳までに語った言葉の収録である。


いんやく・りお 2001年8月18日、東京生まれ。不整脈のため、34週で緊急帝王切開により誕生。3歳でペースメーカー埋めこみ、10歳でカテーテルアブレーション術をおこなう。慢性肺疾患、喘息により、9歳まで在宅酸素療法。歌、犬、だじゃれが大好き。2011年3月、沖縄に移住。
内容紹介 震災のこと、沖縄への移住、三線との出合い、そしてつながりゆく人生の「すじみち」……。
あのベストセラー『自分をえらんで生まれてきたよ』から2年、りおくんがふたたびつむぎだす〝いのちのメッセージ〟を、前著同様、高橋和枝さんの美しいイラストともに編み上げました。より深く、より濃密に、言葉の一つひとつから生きることのすばらしさが、あざやかに浮かび上がります。
内容 震災のこと、沖縄への移住、そしてつながる人生の「すじみち」。“りおくん”がふたたびつむぎだす“いのちのメッセージ”!『自分をえらんで生まれてきたよ』シリーズ第2弾!


http://blog.goo.ne.jp/zen9you/e/76c0885bd1ad5d3b927b79ed62a460e3

東日本大震災後、お母さんと沖縄に移住して、震災のこと、原発事故のこと、そして、沖縄でのこと、沖縄の弦楽器・三線との出会いなどについてやさしく思いが語られている。りお君の見聞し経験したことごとを、しっかり憶えていてくれていて、こうして詩の形で私たちに伝えてくれていることがとても貴重なことに思えます。そこから私たちが学び、考えさせられることも多いでしょう。私の特に気に入った詩を紹介し、余計なことかもしれませんが、それぞれについて私なりの思いを書かせてもらいます。

P73より
人生に、ほんとうは、暗いことは、ない。
暗いものも、ほんとうは、光からできている。
「暗い」と思えるのは、そこに、光があるということ。
人間に見えるものは、すべて、光でできている。
光でないものは、人間には、見ることができない。


○本当にその通りですね。暗くなっても、それは光を分からせてくれるためにあるんですね。光とは何かを知らせてくれるために暗闇がある。すべての存在には意味があり、価値がある。たとえ暗く感じるものであっても、すべてのことを大切にしよう、そこから何かが見えてくるからという積極的な心にさせてくれます。

P76より
人間の宝は、言葉、いのち、心、動き。
人生は、そのすじみちで、決まっている。
だから、後悔しないでいい。
失敗したと思っても、そこから学ぶなら、
それは、ほんとうの失敗ではない。


○ちょっと考えさせられる詩ではありますが、人間は言葉があり、細やかな心があり、それによって行動することそのものとも言えます。もちろんいのちがなければそれらも働くことはありません。それらの宝を大切にするなら、たとえ筋道が決まっていて、失敗することがあったとしても、後悔なんてしないで、そこからたくさんのことを学んだらいいというとても温かい気持ちにさせてくれる詩だと思えました。

P104より
人は死ぬと、天国に行く。
でも、そのまま天国に行くわけじゃない。
天国に行く前に、しばらくいるところがある。
地上で暮らした疲れを、いったんとって、
休む場所が、どこかの空にあるはずだ。
それは、入道雲の上にあることが多い。
ふっくらした、ふかふかの、毛布みたいな雲の上にある。
飛行機で上を飛んでも、見えないけれどね。
地上で思い切り悪いことをした人と、
いいことをして幸せを感じていた人は、
それぞれ、ちがうところに行く。
悪いことをした人が行くところは、
地獄と呼ばれることもある。
ほんのちょっと悪いことをした人は、
「まあ、いいか。天国に行け」って、
星の大王にいわれる。


○この世の生命観をとてもわかりやすく見たままを語ってくれています。お母さんのお腹に入る前に見てきたことをそのままに、天国と地獄というわかりやすい表現になっていますが、みんな違うところにその行いによって行くんだよということなのだと思います。

P110より
人間は、脱皮する。
死ぬときに、脱皮する。
脱皮したたましいは、
生きていた家庭に帰ってきたり、
ほかの人として、生まれ変わったりする。
記憶がある人も、記憶がない人もいるけど、
ここに戻ってきているのは、同じこと。


○脱皮という言葉が使われているのが面白いですね。ですが、正にそのように見えたのだと思います。みんな抜け殻としての体を置いて、生きていた家に帰ってきたりして、生まれ変わる。今生きてこうしてあるということはそういうことなんだということを語っています。過去世、死んでから生まれるまでのこと、見てきたそのままのことをそのままに表現してくれているようです。

P133より
心は、体ぜんたいにある。
皮膚の細胞より細かいところにも、心はある。
心臓、脳、骨の細胞にも、心はある。
脳が自分の気持ちを考えるときは、
脳が心といえるし、
心臓で気持ちを考えるときは、
心臓が心といえる。
足にも考える心はあるけど、
足で考えるのは特殊な技で、
ぼくには、よくわからない。


○心はどこにあるのかと、専門に学問的に研究している人もあるでしょう。仏教的には、実は、ここに綴られているように、体全体にあると考えているのです。すごいなと感心させられる詩の一つです。心とは認識することですから、体全体にそれはあると考えるのです。

わずかしかここでは紹介いたしませんが、是非、一冊手にとって一つ一つの詩をりお君の言葉を味わっていただきたい。暖かい叡智に満ちた言葉に癒やされていくことに気づくはずです。

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