住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
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お茶会に思う

2023年09月22日 08時57分22秒 | 様々な出来事について
お茶会に思う



九月十七日、ここ國分寺を会場にお茶会が開かれました。尾道のNPO法人・茶の湯歳時記同好会主催の百人を超える参加者が来訪される盛大な茶会でした。同会は、これまでにも尾道の浄土寺や海龍寺、光明寺、三原の極楽寺などで茶会を開催してこられました。この度は、『茶の湯~西国街道をゆく~』と題された連続茶会の今年五月に開催された第四回尾道海龍寺文楽茶会に続く、第五回神辺備後國分寺茶会として行われたものです。

ことの始まりは、今年二月に神辺在住の表千家教授である理事さんが訪ねてこられ、是非客殿で茶会を開かせて欲しいと申し入れがありました。これまで茶会などとは縁のなかったこともあり、総代さん方にも相談の上快諾を得て、その後理事さんとのやり取りの中で日程も決まりました。

今年五月ころだったでしょうか、副理事長さんと実際に茶会で作法される先生方が会場の視察に来られ、部屋割りや出入り口の確認をしていかれました。そして八月末にもう一度理事さんが会場の確認に来られ、茶会前日には茶道具や花、掛け軸を持参され、会場の設えがなされて当日を迎えました。

当日は先生方は午前八時前にはお越しになり、九時から本堂で本尊様へお茶をお供えする供茶式法要がありました。同会理事長の壇上博厚氏より挨拶と来賓の紹介があり、そのあと供茶式が行われ、梵語の心経を独唱の後、理事さん方や茶会に参加される皆様方と心経を読誦しました。

遠くは京都や広島からお見えの方もあり、午前A九時半、午前B十一時十分、午後C十三時十分の、それぞれ定刻には定員を超える三十五名の予約されたお客様方が集い、客殿奥の間の濃茶席・中の間の薄茶席・客間の点心席と移動しながらゆっくりとお茶を飲み、國分寺での茶会を堪能されお帰りになられたことと存じます。濃茶席は表千家流十友会、薄茶席は表千家流雛の会が担当されました。先生方にはこれまでなされた大寺とは違い手狭に感じられたかもしれません。

皆さまが片付けを終えてお帰りになったのは夕方四時半ころだったでしょうか。九月半ばとはいえ夏の暑さの残る中丸一日着物でご奮闘なされ誠にご苦労様でした。後日早速に理事長様から丁寧な毛筆の礼状が届きました。「吹く風の 色こそみえね 唐尾山の 古代の松に 秋は来にけり」と歌を添えてくださいました。ありがとうございました。

國分寺では、夏の行事万灯会が八月二十一日に終わって、次の日から庭屋さんが入り庭園から境内の樹木の剪定が行われ、今年は殊の外丁寧な作業が二週間続きました。その間庭園や境内の草取り、中門外や参道の草刈り、本堂の縁や茶室の濡れ縁の掃除、そして茶会の前日まで本堂客殿の室内ももちろんのこと清掃に勤めました。普段しないところまで掃除ができ、あらためて掃除の大切さが知られるということもありました。

お寺は専門的な言葉では現前僧伽(げんぜんさんが)の役割として檀信徒に維持していただき様々な行事法務に勤しむ活動をしているわけですが、一方で世界のすべての仏教施設は四方僧伽(しほうさんが)として、すべての仏教徒に門戸を開き適切な対応がなされなければならないものです。勿論ここにある僧伽とは僧の集団をさすわけですが、僧園や精舎などの施設は四方僧伽に属するともあります。今日の寺院も僧伽と考えれば、一般的にも寺院は公共の施設として捉えられもしますが、本来お寺は四方僧伽としてより広く人々に開かれてあることが本来のあり方と言えます。

そう考えますと、この度の茶会も、伝統文化の普及発揚のためになされた、人々の心を豊かに育むための活動に対する四方僧伽としての役割を果たしたものといえましょう。私どもも茶会が行われたことで多くのことを経験し学ばせていただきました。お茶会のため、残暑厳しい中参道の草刈り、草取り、外トイレの清掃にご精進くださった檀信徒の皆様に改めて感謝し御礼申し上げたいと思います。


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