七回忌の法事にて
お疲れさまでした。長いお経を聞いてくださり、また、ご一緒に「勤行次第」を読誦いただきご苦労様です。今日は七回忌ですから、こちらの塔婆に書いてありますように、七回忌の本尊様阿閦如来に沢山のお供えをし、読経供養を施し、その功徳を六年前に来世に赴かれている○○大姉に手向けるというのが今日の法事です。
こちらにあります塔婆には、上から梵字で「キャ・カ・ラ・ヴァ・ア」と書いてあるのですが、これはよく先祖墓に見られる五輪塔を表していまして、その意味は下から地水火風空となります。これはそれぞれに大をつけて、五大ともいわれるこの宇宙全体を構成する要素となるものです。それぞれの意味は、地大は堅さを性質としてものを保持する働きを表し、水大は湿り気を性質としてものを収めとる働き、火大は暖かさを性質としてものを成熟させる働き、風大は動きを性質としてものを成長させる働き、空大は虚空のことでこの場合空間を意味しています。
これは、その成り立ちそのものである大日如来そのものを表わしているものともいえ、五輪塔を建立することは、多くの人を幸せに導く仏教のシンボルとして、誠に功徳あるものであるので、法事にあたり薄い板ではありますが、その五輪を刻んであしらい、五輪塔を建立する功徳を今日の法事の○○大姉に手向けるために建立されるのです。
そして、塔婆には、その下に回忌の本尊様を象徴する梵字が書かれ、そのあとには「○○院○○○○大姉七回忌菩提の為也」とあります。七回忌の菩提ですが、菩提とは覚りのことですから、七回忌の覚りというものが特別にあるのかというとそうではなく、この七回忌の法事に当たり前世の家族親族であった皆様の供養する功徳をいただかれ、さらに覚りに向かい一歩でも前進して心清らかにお過ごしくださいという意味となります。
あれ、そうなんですか、死後は極楽浄土に逝けるという宗旨もあるのにとお考えになられるかもしれません。が、少しお考えいただきたいと思うのですが、この煩悩だらけの私たちの考える極楽と仏様のお考えの極楽とは随分と環境や居心地が違うのではないかと思うのです。ちょっと待ってください、コンビニに行ってきますというわけにはいかない世界です。仏様の世界に逝くというのはそのまま仏様を目の前に教えをいただき仏様のように過ごすことです。きらびやかな荘厳にとらわれがちですが、仏様の世界は禅定の世界です。
昔禅宗のお寺に出入りしていたことがあります。そこでは「接心」という、一週間一日に十時間以上座禅する坐禅会があり、それに三度ほど参加させてもらったことがあります。周りは禅宗のお寺さんばかりで、はじめはじっと座っているだけで緊張し、体中の筋という筋が突っ張りゆったりと座ることもできませんでした。そうした時に警策という棒で肩から背中にかけてパンパンパンと叩いてもらうと、スッと身体の緊張が解けて楽になったことを思い出します。
皆さんが突然そうした坐禅会に参加されたらどんな感じになられるでしょうか。私は高野山やインドに行った後にご縁をいただき参加させてもらったので多少の下地はあったのに、それでも大変でした。さらに韓国の禅宗にはその坐禅会の期間が五十日に及ぶところがあるとか。またスリランカやミャンマーなどでは、期間を設けずに、横になって寝るのは一日二三時間だけで、あとはずっと坐禅瞑想ばかりしている森林派のお寺さんもあるとか。そんなところに突然放り込まれても、おそらく一週間と持たないと思います。
極楽とはそれよりもはるかに厳しい世界と思わなくてはいけないとすると、そこにいられるだけの心、つまり欲も怒りもない、何があってもなくても動揺しない心を作ってから行くべきではないかと思うのです。インドの仏教徒たちは、また死後も人間に生まれたいと言います。もちろん今よりも裕福な家に生まれ変わりたいと。そのために今沢山の功徳を積んでおきたいから、お寺に行きブッダを礼拝し、ドネーションしてお坊さんたちに食事を食べて修行してもらって功徳をたくさん積んでおきたいと思っています。
今日の法事の○○大姉もおそらくそんな厳しい世界ではなく、○○家の皆様同様の敬虔な仏教徒の家に生まれ変わり、そこでたくさんの功徳を積み、心を浄めて、一生でも早く仏様のような清らかな心を作ってくださるべく精進されているものと思います。そのために皆さんも今日の法事において、たくさんの功徳を積まれ、来世におられる○○大姉に向けてその力となるべく功徳を回向されたということです。
この次は十三回忌、少し先になりますが、それまで仏壇から功徳をご回向してあげて欲しいと思います。本日は誠にご苦労様でした。
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お疲れさまでした。長いお経を聞いてくださり、また、ご一緒に「勤行次第」を読誦いただきご苦労様です。今日は七回忌ですから、こちらの塔婆に書いてありますように、七回忌の本尊様阿閦如来に沢山のお供えをし、読経供養を施し、その功徳を六年前に来世に赴かれている○○大姉に手向けるというのが今日の法事です。
こちらにあります塔婆には、上から梵字で「キャ・カ・ラ・ヴァ・ア」と書いてあるのですが、これはよく先祖墓に見られる五輪塔を表していまして、その意味は下から地水火風空となります。これはそれぞれに大をつけて、五大ともいわれるこの宇宙全体を構成する要素となるものです。それぞれの意味は、地大は堅さを性質としてものを保持する働きを表し、水大は湿り気を性質としてものを収めとる働き、火大は暖かさを性質としてものを成熟させる働き、風大は動きを性質としてものを成長させる働き、空大は虚空のことでこの場合空間を意味しています。
これは、その成り立ちそのものである大日如来そのものを表わしているものともいえ、五輪塔を建立することは、多くの人を幸せに導く仏教のシンボルとして、誠に功徳あるものであるので、法事にあたり薄い板ではありますが、その五輪を刻んであしらい、五輪塔を建立する功徳を今日の法事の○○大姉に手向けるために建立されるのです。
そして、塔婆には、その下に回忌の本尊様を象徴する梵字が書かれ、そのあとには「○○院○○○○大姉七回忌菩提の為也」とあります。七回忌の菩提ですが、菩提とは覚りのことですから、七回忌の覚りというものが特別にあるのかというとそうではなく、この七回忌の法事に当たり前世の家族親族であった皆様の供養する功徳をいただかれ、さらに覚りに向かい一歩でも前進して心清らかにお過ごしくださいという意味となります。
あれ、そうなんですか、死後は極楽浄土に逝けるという宗旨もあるのにとお考えになられるかもしれません。が、少しお考えいただきたいと思うのですが、この煩悩だらけの私たちの考える極楽と仏様のお考えの極楽とは随分と環境や居心地が違うのではないかと思うのです。ちょっと待ってください、コンビニに行ってきますというわけにはいかない世界です。仏様の世界に逝くというのはそのまま仏様を目の前に教えをいただき仏様のように過ごすことです。きらびやかな荘厳にとらわれがちですが、仏様の世界は禅定の世界です。
昔禅宗のお寺に出入りしていたことがあります。そこでは「接心」という、一週間一日に十時間以上座禅する坐禅会があり、それに三度ほど参加させてもらったことがあります。周りは禅宗のお寺さんばかりで、はじめはじっと座っているだけで緊張し、体中の筋という筋が突っ張りゆったりと座ることもできませんでした。そうした時に警策という棒で肩から背中にかけてパンパンパンと叩いてもらうと、スッと身体の緊張が解けて楽になったことを思い出します。
皆さんが突然そうした坐禅会に参加されたらどんな感じになられるでしょうか。私は高野山やインドに行った後にご縁をいただき参加させてもらったので多少の下地はあったのに、それでも大変でした。さらに韓国の禅宗にはその坐禅会の期間が五十日に及ぶところがあるとか。またスリランカやミャンマーなどでは、期間を設けずに、横になって寝るのは一日二三時間だけで、あとはずっと坐禅瞑想ばかりしている森林派のお寺さんもあるとか。そんなところに突然放り込まれても、おそらく一週間と持たないと思います。
極楽とはそれよりもはるかに厳しい世界と思わなくてはいけないとすると、そこにいられるだけの心、つまり欲も怒りもない、何があってもなくても動揺しない心を作ってから行くべきではないかと思うのです。インドの仏教徒たちは、また死後も人間に生まれたいと言います。もちろん今よりも裕福な家に生まれ変わりたいと。そのために今沢山の功徳を積んでおきたいから、お寺に行きブッダを礼拝し、ドネーションしてお坊さんたちに食事を食べて修行してもらって功徳をたくさん積んでおきたいと思っています。
今日の法事の○○大姉もおそらくそんな厳しい世界ではなく、○○家の皆様同様の敬虔な仏教徒の家に生まれ変わり、そこでたくさんの功徳を積み、心を浄めて、一生でも早く仏様のような清らかな心を作ってくださるべく精進されているものと思います。そのために皆さんも今日の法事において、たくさんの功徳を積まれ、来世におられる○○大姉に向けてその力となるべく功徳を回向されたということです。
この次は十三回忌、少し先になりますが、それまで仏壇から功徳をご回向してあげて欲しいと思います。本日は誠にご苦労様でした。
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