住職のひとりごと

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第六回日本の古寺めぐりシリーズ・鰐淵寺と華蔵寺2

2009年02月12日 08時12分52秒 | 朝日新聞愛読者企画バスツアー「日本の古寺めぐりシリーズ」でのお話
鰐淵寺は、鎌倉時代には守護佐々木氏の保護を得て栄える。またこの頃、鰐淵寺とは山をへだてて南西側に位置する杵築大社(出雲大社)との関係が深まる。十世紀頃、国造出雲氏は本拠地を意宇(おう)郡から杵築大社に拠点を移し、その結果として十一世紀中頃出雲国における中世一宮制(出雲国の国鎮守)が成立した。

この時期は杵築大社が古代的な神社体制から、中世的な組織へと変貌していく時期であり、神迎え神事の場所として重要な位置である稲佐浜を極楽浄土の入り口とみなす信仰が起こり、隣に位置する鰐淵寺との神仏習合の形を取った両者の密接な関係が発展。鰐淵寺にとっても神聖な信仰と修行の場としての鰐淵山から、中世的な宗教勢力としての鰐淵寺へ転換し、後に杵築大社の別当寺となった。

杵築大社の由来について十四世紀に書かれたものには、「当社大明神は天照大神の弟、スサノオなり。八岐大蛇を割き、凶徒を射ち国域の太平を築く。また浮山(浮浪山)を留めて垂れ潜む。」とあり両者の縁起は同じスサノオとなっている。平安時代の神仏習合の展開によって、鰐淵寺と杵築大社は密接な関係の中で発展していく。

十三世紀、出雲守護佐々木泰清より、鰐淵寺は出雲の国を代表する寺院として認められ『国中第一之伽藍』と呼ばれた。そして杵築大社は『国中第一之霊神』と呼ばれ出雲の国で最も有力な神社とされた。杵築大社の年中行事には、鰐淵寺僧が出向き大般若経の転読を行ったという。

また、鰐淵寺は弁慶修行の地としてもよく知られているが、弁慶は平安末期、仁平元年(1151)松江に生まれ、18歳から3年間鰐淵寺にて修行したとされる。その後、播磨書写山、比叡山と旅して、源義経と出会いともに各地を転戦したが、壇ノ浦の合戦で平家を滅ぼした。

その後再び鰐淵寺に身を寄せて、多くの伝説や遺品を残している。特に、弁慶が大山寺から一夜で釣鐘を運んだとの伝説は広く世に知られ、その際に持ち帰ったとされる寿永2年の銘のある釣り鐘は国の重要文化財に指定されている。

その後鰐淵寺は、南北朝時代には、北院と南院が、それぞれが北朝・南朝を支持して対立した。その頃鰐淵寺は、嘉暦元年(1326)大火で全山焼失していた。南院の頼源は、伽藍復興のために後醍醐天皇の南朝に頼り、また後醍醐天皇は、僧兵の沢山いる鰐淵寺を必要としたことから、天長地久の祈願所と命ずる文書を発した。

元弘2年(1332)後醍醐天皇が隠岐に流された際には頼源も國分寺行在所に伺候し、宸筆の願文(倒幕の所願を成し遂げたならば薬師堂を造営するという内容)を賜った。この願文は現存し重要文化財に指定されている。

頼源は後醍醐の隠岐脱出を助け、その後、京都吉野にも僧兵を率いて従った。その後南北朝の和議の後、鰐淵寺の南院と北院が和解し、これを機に鰐淵寺は今の根本堂の地に北院と南院を合併し、千手観音と薬師如来をともに本尊として安置することになった。

また、戦国時代には出雲においても尼子氏と毛利氏の間に激しい戦いが繰り広げられ、毛利氏による出雲侵攻時に鰐淵寺栄芸は一貫して毛利氏を支持して尽力。毛利氏勝利の後、鰐淵寺は毛利氏の保護を受ける。現在の根本堂は、この毛利氏が栄芸の功績をたたえて建立したものと伝える。

十六世紀後半頃から十七世紀初頭、杵築大社においては御頭神事の衰えから、鰐淵寺との提携が無意味となり、更に祭神をスサノオから国造家の歴史を考える上でオオクニヌシを祀る事の方が適切であるとされ変更された。そのため神仏習合で関係を深めていた鰐淵寺と大社との関係は改められ、十七世紀の杵築大社の造り替えの際、仏教諸堂が撤廃され神仏分離が行われた。

そうしたことも影響したのか、鰐淵寺の勢力は戦国期以降退潮となり、明治には廃仏毀釈により、境内に祀る摩陀羅神は須佐之男命と同体であるとか、大国主命と同体であるという説により、また鰐淵寺は神地にあり、仏堂を毀し僧侶を放逐し、寺領寺禄を大社に返納すべきであると主張された。

隠岐ほどの強烈な廃仏はなかったものの、取り巻く環境は穏かなものではなかった。そのとき、寺側では、松江藩神社調停役にたいして、摩陀羅神社は梵土の天台仏教保護の神であって、日本神祇に属する神で無いことを主張し、調停役も同意したため寺院消滅の危機を脱した。

『出雲国 浮浪山鰐淵寺』のなかには、「出雲は日本第一の神国とも謂わるべき国であるが、明治維新に神仏分離せらるるとき、別に仏教排撃の禍難に陥った寺院がなかったのは何か理由があろうと思っていたが、・・・・知事などが鰐淵寺を調査しようとしたが、一行が山道にかかれば、四方の山より大山の石塊が落下しすこぶる危険であり、一行は異変を恐れて途中で引き返し、遂に同寺を調査するに至らなかった 」と書かれているという。

「昔は谷々路を隔て、坊院軒を並べ、凡そ三千坊・・・」と古文書にも記入があるというが、かなりの数の僧坊が存在したらしい。伯耆大山大山寺でさえ九院四十三坊あったとされることから、山陰一の鰐淵寺は更に多くあったと思われる。しかしながら、明治期に書かれた絵図で確認できるのは松本坊、嚴王院、浄觀院、是心院、洞雲院、等澍院、密嚴院、現成院、七佛堂、覺城院、恵門院、本覚坊、和田坊、念仏堂、開山堂、釈迦堂、竹林庵、常行堂、根本堂、それに三重塔などであるという。

現在の境内の様子を見てみると、鰐淵寺川に沿って進むと、仁王門の先に大慈橋が見える。橋を渡るとすぐ右手に御成門。その奥に本坊。本坊客殿書院前には、自然石、角切石、筏石を配置した池泉鑑賞式の庭園がある。京都林泉協会選全国150名園の一つに選ばれている。

石段を登ると、子院の跡が点在する。そこからさらに石段を上がると、小さな十王堂が右手にあり、屋根のついた六地蔵、そして根本堂への108段の表坂が続く。それを登ると、左側に大きな円仁手植えの三台杉。正面には、雄大な根本堂が姿を現す。

その左には18世天台座主良源を祀る常行堂、その奥には常行堂の守護神を祀る摩陀羅神社。これは、円仁の帰朝を守護したと言われる夜叉神で、延暦寺の常行堂にも祀られている。根本堂の右手には弁慶縁の鐘楼堂とそして釈迦堂、その下の急な裏坂を下りると開山堂が奥にそびえる。

寺号の由来の浮浪の滝と蔵王堂へは、大慈橋を仁王門と逆にたどり天に聳える杉の老木の間の細い坂道を上がる。18メートル下に流れ落ちる滝。蔵王権現を祀る蔵王堂は岩窟にはめ込まれたように造られた流造り。弁慶の籠もり堂跡が休憩所となっている。

山陰屈指の霊刹、鬱蒼とした木々に囲まれ森厳さをたたえる一山、野鳥の声が響き、花々がひそやかに咲く広大な境内をゆっくりと散策したい。

重要文化財として、仏画、絹本著色山王本地仏像 - 室町時代初期、日枝神社の祭神7体のうち五体が僧形、本地は釈迦如来。絹本著色毛利元就像 - 室町時代後期。絹本著色一字金輪曼荼羅図 - 鎌倉時代初期など。仏像、銅像観世音菩薩立像(2躯) - 奈良時代前期(白鳳時代)、白鳳仏の基準作といわれる。

工芸品、銅鐘 - 総高113㎝、寿永2年(1183年銘)、もと伯耆国桜山の大日寺にあったもの。書跡。紙本墨書後醍醐天皇御願文(2通) - 元弘2年 。文書類2点(一括指定)紙本墨書名和長利執達状 - 建武3年。紙本墨書頼源文書(2通) - 元弘2年、貞和5年。考古資料、石製経筒 附:湖州鏡 - 平安時代。ほかに、県指定市指定の仏画、仏像、古文書等文化財も夥しい。

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2 コメント

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Unknown (ejnews)
2009-02-13 01:28:41
何時も興味深いお話ありがとうございます。確かに政府と宗教が結びつくと余り良い事が起こらない様ですが、明治の廃仏毀釈は行過ぎで日本の失った文化遺産を思うと残念でなりません。仏教美術だけでなく重要な歴史的日本の美術品の多くが海外の美術館へ行かなければ見る事が出来ない現状も歴史の流れで仕方ないと言えばそうですが、やはり何と無く残念ですね。然し,良く考えてみると何か大きな災害のあったとき世界中に日本の美術品が拡散している方が将来まで日本の美術品が生き残るチャンスが大きいと言う事でもあるのですね。
 私は若い時美術を勉強していて『天平の甍』を読んで―鑑真和上顕彰 のお話で“脱活乾漆造りの仏像”等と言う言葉は懐かしい言葉でした。
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そういう考えも (全雄)
2009-02-13 08:13:01
おはようございます。確かに、海外にあれば、散逸しているぶん、一度に消滅する危険は無いとも言えますね。

天平の甍はその後昭和55年に映画になったものを最近手に入れて見ました。小説ほどの艱難辛苦の様を感じるまで描かれていませんでしたが、発展開発前の中国の様子、お寺の様子を見るのには貴重な映像だと、そうして今ないものを見られる。

過去の大事な物や事績、さらには昔の人たちの考えや思いを残し、それを味わう。またそれを今に生かすというのは大変なことだと感じます。
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