住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
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四国遍路行記4 みられてござる

2005年05月25日 16時47分15秒 | 四国歩き遍路行記
慣れない寝袋でも初日の疲れからかよく眠れた。5時頃薄明るくなって目を覚まし、境内の水場で顔を洗い身支度を調え本堂に向かう。縁のふちに座れるように長椅子が作りつけられている。座って静かに延命地蔵尊へ経を唱える。その間に地元の信者さんらしき人たちのお詣りがあった。

普通みんな遍路や巡拝の時には立ってお経を唱える。そのせいか座ってお経を唱えていると違和感がある。しかし座って落ち着いて唱えるお経には立って急いで唱えるお経とは違う味わいがある。本尊様のお姿を想像し、香の香りを楽しみ、深としたお寺の空気を吸い込みながら聞くお経には有り難さがある。

今日一日の最初のお勤めを終え、大師堂へ向かう前に、五百羅漢堂に寄る。本堂の左奥の方へ道が続いていた。かなり距離があったが行ったかいがあった。どの羅漢像も素晴らしい。弥勒、釈迦、大師像も大きくて立派だった。ここで大阪からお詣りの小さな団体の方からお接待をいただく。早速遠くまでお詣りした御利益があった。大師堂へ詣り、6番に向け歩き出す。

6番安楽寺は、山号を温泉山という。途中に温泉旅館がいくつかあった。山門をくぐって正面に本堂、右の立派な建物が大師堂だった。本堂には沢山の御守りや値付けなどが並んでいる。商売熱心なのだ。ところで、後に団体を連れてここに宿泊した際、売店で「四国へんろの春秋」という年表を買った。

それによると、四国遍路は、辺路(へじ)の修行と言われ、弘法大師よりひと時代前の修験道の開祖役行者や行基までさかのぼるという。平安時代も後期になると、東大寺の大勧進をしたことで有名な重源や西行法師、法然上人なども四国の辺路を旅して若き日に修行に励んだと言われる。もともと修験、聖、持経者などが盛んにしていた辺路修行に、とともにそうして念仏勧進聖が加わって今日の基礎をなしたという。

この年表は実に丁寧に四国に関する記事を引いて各時代の日本仏教史を四国遍路を基点に展開している。編纂されたのは安楽寺住職の畠田秀峰師だ。実に貴重な研究をなされている。四国遍路から見た日本仏教史、弘法大師伝を執筆中だという。早く拝見したいと思っている。

7番十楽寺。庫裏を覗くと大きな字で「みてござる」とあった。味わいのある字だ。その字を見て、全くその通り、見られてござると思った。人に見られていなくても、みんな自分が見てごさるのだ。自分をごまかして生きてはいけない。懺悔するときには懺悔するのだと思いながら、ここで反省が止まってしまうのを恐れる。お詣りし歩き出す。

濡れた落ち葉を踏みしめる 足が冷たい

歩きながら 気がついたら 遍路道

張り上げる声を聞くのは自分だけ





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