住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

四国遍路行記-19

2009年05月03日 19時54分04秒 | 四国歩き遍路行記
結局お昼ご飯も御接待いただき、Sさんと金剛福寺の前で別れた。一人石段を登る。朝から雨がポツポツ降っていたが、風もにわかに吹いてきた。沢山の参拝者の間を透明人間の如くにすり抜けて、本堂に向かう。金剛福寺は、弘法大師が弘仁年間にこの地を訪れ、千手観音を感得して嵯峨天皇に上奏し、「補陀落東門」の額を賜り創建された。境内は観音菩薩の補陀落渡海の地に相応しく、足摺岬の荒波に揉まれた岸壁を見下ろす。

本堂前で千手観音のお姿を思い理趣経一巻。本堂の石段を下り、西の奥に大師堂。大師堂では、小窓から内部を覗くと、御厨子の中で綺麗なお大師様がこちらを向いておられた。ありがたい尊顔を拝みつつ心経一巻。

思ったより雨がしっかり降っていたようで、土の境内がぬかるんで草鞋の足に土がまとわりつく。石段を下り、雨だというのに観光バスから降りてきた沢山の参詣者の中を抜けて、左へ中村方面に向かう。海沿いの車一台が通れるほどの道をポンチョをまとい歩く。山側は岩場からシダが生い茂り、蔓が絡まるトンネルのようなところをぬけて進む。雨降りのどんより空のせいで真っ暗だ。

そんな道をすぎると、このあたりも新しい道を作っているところが所々あって、幅の広いアスファルトの道が急に現れる。雨の日にはアスファルトの道も悪くない。途中保育園があり、子供たちが部屋の中で走り回っている。外にトイレがあった。柵の中に入り、断りを入れトイレを借りる。子供たちが歓んで手を振っている。ニコニコして合掌している子もいる。

どんより雲の海はどす黒い。網代から雨がしたたる。こんな日は暗くなるのが早い。まだ4時過ぎだというのにあたりが真っ暗になってきた。坂を下ると、舟をつり上げるクレーンが岸近くに並んでいた。漁師町の窪津だった。このあたりまで来たら、急に雨脚が強くなってきた。

早くどこか宿に入りたいところだが、お店らしきものもない。このあたりに民宿かお寺はありませんかと、丁度歩いてきたご婦人に問うと、「このあたりのお寺はどこも無住じゃから、うちに来んさい」そう言われて、家々の間をぬってずっと奥まで先導されて歩いた。雨と汗でびっちゃりの衣を脱ぐと、「まあ、風呂に入りねぇ」と言われてお風呂へ。ご主人を亡くされていて、亡くなったご主人の着ていた浴衣やら丹前を着せてもらった。

まだ夕刻ということもあり、温かいコーヒーを入れて下さり沢山のパンも添えられていた。朝Sさん宅で作ってくれたおむすびを夕飯に食べる。あんまり干渉してはいけないと思われたのか、広い座敷に一人。この数日のことを反芻しつつ日記を書き、また親元に手紙を書いた。

今日は雨のせいもあり、道にミミズやら小さなカニが出てきて出迎えてくれたが、行き交う車に潰されてしまったものも多くかわいそうに思えた。車のない社会であれば、こんなことにはならないものをと思いつつ歩いたことが思い出された。

今日も含め本当に四国に来てから苦労知らずで、車のお接待やら善根宿やらと誠に身に余る施しにありがたさがしみじみ込み上げてくる。楽をさせていただき、あまりしっかりと歩いているという実感もないままに来ていることに焦燥感もないではなかった。が、何事もありのままに受け入れてこれで良しとするしかない。明日から何もないということも考えられるのだし、その時その時の境遇を有難く受け取ろうと思った。

翌日も大雨。時折強い雨が降っていた。洪水波浪注意報まで出ていた。午前中は、そのまま外にも出られず、テレビを見て過ごす。朝から天ぷらのご馳走。昼には鯵の干物を食べさせていただいた。昼過ぎには日が差し込むほどに天候が回復してきたので、亡くなったご主人の遺影が見下ろす仏壇に心経をお唱えし、お礼を申して善根のお宿を辞した。

暗かった海が嘘のように日を浴びて青々と、白い砂浜や岩肌、それに波のしぶきのコントラストに見入った。足摺の海のなんと雄大なことか。美しさか。たくましい自然の力強さを感じさせた。大岐の浜はまた殊の外美しい。夏はさぞかし若者たちで賑わうことだろうなどと考えながら先を急ぐ。昼過ぎから4時間くらい歩いただろうか。中村の町に入らずとも、下の加江から次の延光寺に向かう遍路道があるということで、安宿(あんじゅく)という遍路宿にお世話になることにした。

明るいうちに宿に入りのんびりする。四国に入り5回目の剃髪もゆっくり風呂場で済ますことができた。四国へ入る前はいろいろな人から四国はこう歩くのだというような固定したものが頭にあったが、やはり人それぞれ、その人なりの歩き方、遍路があるように思えてきた。無理してすべて歩くこともないし、外に寝なくてはいけないということもない。そんなことを思った。

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3 コメント

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おはようございます。 (山口の隠居)
2011-07-11 06:41:34
昨日より貴台のこのブログ,特に『四国遍路行記』を読ませていただいております。

小生愛媛の金毘羅街道沿いに生まれ育った人間ですが,自分も一緒に歩いているような気がし,何とも有り難い事だと感謝致しております。

それにしても,行く先々ですばらしいお接待に与り,貴台の御人徳の賜物と思います。

合掌。
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おはようございます (全雄)
2011-07-11 08:43:01
もうかれこれ20年くらい前の遍路について書いたものです。

30を過ぎ、これからどうしたものかといろいろと葛藤の中で遍路したのですが、日記をたよりに当時の記憶を呼び覚ましながらの記録です。

四国は一人で歩かないと本当のありがたさは分からないと思います。そこから沢山のものを学んでいく。人間再生の道場とも言えるのではないかと思っております。
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あらためて。 (山口の隠居)
2011-07-11 09:27:09
小生のコメントにお答え下さり,有難う存じます。

[人間再生の道場]という言葉,確かにそうですね。なかなか言い得て妙だと思います。

貴台が様々な“お接待”に与られたのも,人々が貴台にお大師様のお姿を見ているからに他なりません。

我が家は日蓮宗ですが,母方の里は真言宗(先年仁和寺の執務総長になられた瀬川大秀師が住職の西条市の王至森寺の門徒)で,いつの頃までかは分かりませんが,“善根宿”という事で,お遍路さんをお泊めしていたようです。

小生は,これまで“御接待”という事についてあまり深く考えた事はありませんでした。

それは,困っている人を見れば,助けるというのが当たり前の環境に育ったものですから,それを“御接待”という言葉で表すのもどうかと思いました。

しかし,それは或る種の“照れ隠し”。また相手に余計な負担を感じさせないための“思いやり”の現れなのだという事を改めて了解しました。

合掌。
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