スタート地点は銀座4丁目。最近、増設オープンしたばかりの銀座三越の新館前から晴海通りを築地方面に向かって歩くこと7~8分、万年橋東の標識を見たらストップ。
都バスの「築地停留所」は目の前、地下鉄日比谷線「東銀座」をとおりこしたところです。
そこで視線を左に向けるとKONWAと白文字をくっきり浮かべたビルがあります。そのコンワビルの右前面の植え込みのところに目指す「活字発祥の碑」があります。
築地といっても、いまは工事中で姿を消している歌舞伎座からすぐ、銀座といっても問題はないところです。平野富二がなぜここを選んだか。江戸城がなくなって武家地が消え、本願寺と海軍関係の跡地だけ、築地川に沿った湿地帯で土地が安かった。江戸湾近くで海が近く、なんとなくふるさとの長崎に似ていたこともあったかと思われます。
築地は居留地やミッションスクールで有名になる前は、海軍のメッカでした。軍艦操練所を皮切りに海軍の施設がぞくぞくつくられました。本木昌造とともに蒸気船に乗っていた海の男の記憶もここに活版所を作る動機につながったかもしれません。