活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

「活字発祥の碑」と対面するには

2010-10-11 16:25:30 | 活版印刷のふるさと紀行
 

スタート地点は銀座4丁目。最近、増設オープンしたばかりの銀座三越の新館前から晴海通りを築地方面に向かって歩くこと7~8分、万年橋東の標識を見たらストップ。
都バスの「築地停留所」は目の前、地下鉄日比谷線「東銀座」をとおりこしたところです。

 そこで視線を左に向けるとKONWAと白文字をくっきり浮かべたビルがあります。そのコンワビルの右前面の植え込みのところに目指す「活字発祥の碑」があります。

 築地といっても、いまは工事中で姿を消している歌舞伎座からすぐ、銀座といっても問題はないところです。平野富二がなぜここを選んだか。江戸城がなくなって武家地が消え、本願寺と海軍関係の跡地だけ、築地川に沿った湿地帯で土地が安かった。江戸湾近くで海が近く、なんとなくふるさとの長崎に似ていたこともあったかと思われます。
 
 築地は居留地やミッションスクールで有名になる前は、海軍のメッカでした。軍艦操練所を皮切りに海軍の施設がぞくぞくつくられました。本木昌造とともに蒸気船に乗っていた海の男の記憶もここに活版所を作る動機につながったかもしれません。
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わが目を疑った『活字発祥の碑』

2010-10-11 05:48:34 | 活版印刷のふるさと紀行

 なんと、たった1週間前、この碑は植木で隠されてわずかにいちばん上の『活字発祥の碑』
かろうじて見えるだけでした。やむなく、そのままカメラにおさめて研究会でパワー・ポイントで注釈つき披露をした私です。

 それが塾友を伴なってやって来たら植木がすっかり刈り取られ碑文がはっきり読めるようになっているではありませんか。思わず「今朝のテレビの星占いで、仕事運がよかった」のはコレか、と思った次第です。

 本木昌造の長崎新塾活版製造所の事業いっさいを引き継いだ平野富二が築地の秋田筑後守の
屋敷跡120坪ほどの土地を買い「平野活版製造所」を新築したのがこの碑の場所で、こここそ明治・大正時代に日本の印刷文化を下支えした「築地活版製造所」跡地なのです。

 残念ながら平野富二の名前は本木昌造ほど知られておりません。彼が「平野活版製造所」から明朝体活字で一世を風靡した「築地活版製造所」に発展させたのに、その会社も昭和13年
に姿を消しています。

 ここしばらく、平野富二がらみでこのブログを続けてみようかと思います。
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